「金メダリスト」金藤理絵選手、本校に来たる ~夢の実現~

2017年6月9日

超人シェフ×超人アスリート 「夢のスーパー給食」
 
【1】夢の実現

 2012年度に新校舎が完成してから5年、ずっと実現したい夢が私にはありました。それは、プール開きと称して、「新校舎の3階に建設されたプールと水泳の金メダリストを出会わせたい」、「本校に金メダリストを招きたい」という夢でした。

 そのための策を、建設当時からずっと考えていました。ですから、本校のプールにおける伝統と未来を背負って、どれだけ勇気が湧き出る企画だったか、今回の企画が実現できたことに胸が熱くなり、終わった今もジーンとしています。
 
 私の今回のキーワードは、「夢」の実現。
①超人との出会いにより、大きな「夢」を描けるこどもになってほしい。
②超人との出会いから「食と運動を考える」。
  →「食育推進」と「健康づくり」を学び、考える機会としたい。
  →「超人(後藤シェフ・金藤選手)から学ぶ」でした。
③「金メダル」と「プール」。
  →2012年に建設された新プールにアスリートをお迎えし、プールと出会わせたい。
 
 日本の未来を担う子どもたちへ、伝統と明るい「未来の可能性」を伝えたいと思います。



【2】金藤選手とは
 金藤選手は、昨年の2016年8月11日、リオデジャネイロオリンピックの大会第7日目の競泳女子200m決勝で、2分20秒30で金メダルを獲得したメダリストです。

 金藤選手の金メダル獲得は女子200m平泳ぎでは、1936年ベルリン大会の前畑秀子さん、92年バルセロナ大会の岩崎恭子さん以来24年振りの快挙で、日本人女性として3人目。日本競泳チーム初の女性主将としてプレッシャーがある中での金メダル獲得に、日本中が歓喜にわきました。
 
【3】ニュースで放映・新聞各社に掲載

 7日の当日は、神奈川テレビの18時からと、21時30分からのニュースで放映され、朝日新聞・日刊スポーツ新聞・スポーツニッポンにも翌日8日付けで掲載されました。これから、「フジマニ」「タウンニュース」にも掲載されると聞いております。一つひとつが、形になっていくことで、達成感を感じます。北澤豪氏に続いて、今回も「あきらめない」気持ちと「人との繋がり」の中で実現したことです。

 改めまして、関係者の皆様、ご尽力くださった方々に心から感謝するとともに、御礼を申し上げます。ありがとうございました。


【4】「金メダル」にこだわる理由

体育部部長として水泳の指導をされてきた。
峰島(旧姓 豊田)先生

 私が「金メダル」にこだわるには理由があります。
 湘南学園には、1932年(昭和7年)、ロサンゼルスオリンピックで自由形800mリレーで新記録、見事「金」メダルを獲得したメンバーの峰島(旧姓豊田)久吉先生が体育教師・体育部部長として、水泳の指導を熱心にされ、活躍されていました。
 
 オリンピック「金」メダリストの赴任とあって、当時の理事長(国井博隆氏)の寄贈により浄化装置付きプールが竣工されたのが1959年(昭和34年)のこと。藤沢市で鵠沼海岸のプール(昭和14年)・湘南高校のプール(昭和17年)に続いて、昭和34年7月に藤沢市で3番目に本校のプールが完成したわけです。小・中学校のプールでは1番目。近所の子どもたちや大人も「プール開放」の日を楽しみにしていたこと、当時、賑わっていたことを体育の先輩や近所の方からよく聞いていました。
 
 53年間使用されてきたプールに終止符を打ち、現在は新プールを利用しているわけですが、安心・安全面でもセレモニーをしたいと考えていました。どうせなら「金」メダリストに来ていただきたい。昨年7月に、岩崎恭子選手にもお会いしました。あの時から24年も経過していると話していた矢先、8月に金藤選手が岩崎恭子選手以来24年ぶりの「金」を獲ったのです。これは、凄いことでした。今、人生をかけて挑んでいる人なのです。まさに旬。金メダルを獲ってから、まだ1年経っていない金藤選手からのお話。夢は現実になるのですよ。
 
【5】プールに「金」!金藤選手がプールに来たよ

 給食、そしてトークショーの後に、金藤選手が「金」メダルを持ってプールに来てくださいました。金藤選手と会いたいとプールで待っていた中高生も大喜び。プールと「金」メダルの金藤理絵選手のこの写真は、きっと代々受け継がれるはずです。

 2008年12月24日、25日に30キロを7時間もかけて泳いだ金藤選手。金メダリストが足を踏み入れたこのプールで、子どもたちはこれから水泳の授業をするのです。金藤選手の写真をプールのどこかに飾りたいなぁと、思っています。きっと踏ん張って泳ぎにチャレンジしてくれることでしょう。さぁ、がんばれ!