6年 『戦争体験』を聞いて

2015年9月28日

先週の金曜日に6年生は「戦争体験談」を聞く特別授業を行いました。
戦時中からずっとこの湘南・鵠沼地域にお住まいである芝さんをお招きしてお話いただきました。
 
今回、この授業を行った背景には、戦後70年という節目の年に「戦争」をしっかりと考える機会を持つことがありました。加えて、総合学習の「人とつながる」というテーマから、戦争体験者の方とのつながりを大切にしようと考えました。また、国語では少し前に「ヒロシマのうた」という物語を読み深めたり、新聞記事にも触れています。シルバーウィークにはレポート課題「平和について考える」を実施し、子どもたちはそれぞれ戦争の本を読んできたり、戦争体験者の話を聴いたりしてレポートを書いてきました。こうした流れの中で実際の戦争体験者の生の声を聞いて、さらに深く戦争について考える機会にしたいと思い、今回の芝さんからの「戦争体験」特別授業を実施しました。


終戦の頃の芝さんの年齢は当時11~16歳であり、今の6年生とそう変わりはありません。
当時、体験したことやその時の気持ち・・・一般市民の少女がどのような生活をしていたのか。ありのままのお話は戦争の悲惨さが十分にわかるものであり、同じくらいの年齢の人が経験した事実はとても臨場感があって、感情に直接働きかけるほどの衝撃があったのではないでしょうか。話を聴いた直後の感想文で、子どもたちの感情がたくさん書き綴られていたことがとても印象的です。
 
・女学校4年の4月、急に飛行機の部品を作る工場で働くことになったこと。
・新林公園近くの工場に学徒動員されたこと。
・誰もが食糧不足で栄養失調状態にあったこと。
・横浜大空襲の時、片瀬山から東の空が真っ赤だったこと。
・友達を戦争で失ったこと。
・平塚が空襲で燃えている様子が片瀬山から見えたこと。
・ラジオで情報を得ていた話。
・敗戦の時の心模様。
・本土決戦に向かう覚悟。
・死と隣り合わせが当たり前の状況。

・・・たくさんのことを語っていただきました。

ニュースや教科書から知る「戦争」のイメージが、漠然としたものから一層はっきりとしたものになる感覚。身近な地域が戦争の現場になっていたことは、戦争を臨場する錯覚すら覚えます。
どの子も次第に話しに聞き入り、なかには感情移入のあまり涙する子も。
 
芝さんは言います。
「平和というものは当たり前のことではなく、待っていても来ません。努力して得るものです。」
 
今後、「戦争」を体験した人から直接話を聴くことができる機会はどんどんなくなっていきます。

11歳、12歳の年齢の子どもが、「戦争」について正面から向き合うことは非常に難しいことですが、今回の機会で知ったことや感じたことをもとに、「平和」に対する認識を深めるとともに、これからの日本について自分の考えを持つきっかけとなることを願っています。

 

最後に子どもたちの感想いくつか掲載します。

●まだあまり物事が分かっていない子どもの歌う手まり歌や、学校の教育、情報を知る方法のラジオ、様々なことに戦争で日本が良い立場であると小さな頃から刷り込まれている。その時代に実際にいないからよくわからないが、生活している中の様々なところに戦争が少なからず確実に関わっている。
●男性がいない中で、女性が活やくしたのはすごいと思う。4年間の中で16歳の女の子ががんばって自分の命を守り、終戦まで生き続けたことに感動した。食料がとぼしく、もうたえられない状態の中で、世のために働いた時に、どんな気持ちで、何をはげみにしたかと言えば、きっと家族が産んでくれた自分の命を守るため。
●私たちが知らないこともつらいことも戦争の裏のようなものをたくさん教えていただき勉強になった。幼い子たちまで戦争がらみのことをしなければならないヒドい戦争はやはり二度とおこしてはならないものだと思う。私はずっと先まで戦争のことを語りついでいって平和をいじしたいと思った。
●この今暮らしている「今」が「今」のままであるのが平和なんだなと思った。次にこの国を担う立場として、戦争などを二度とくりかえすことのないようにしないといけないと思った。
●戦争は人を殺すだけでなく、そのものを変えてしまうと思い、戦争はよくないと思いました。今のこの平和が永久に続くとうれしいです。
●戦争というものは、あらためて残忍なものだと感じました。思わず涙がポタポタとたれてしまいました。芝さんの体験はとても心にしみました。きちょうな体験をきかせてくださって本当にありがとうございました。もう二度とあんなことはおこさせません。だからそれにむけて出来るかぎりのことはしたいと思います。
●まちがった情報を流し、国民を戦争に植えつけるのが怖い。周りの言葉に流されずに、自分を持って進んでいくというのも、平和につながる第一歩だと思う。まず、戦争はやってはいけない。食料も少なく、原爆が多い中で生きぬいた人はすごいと思う。友達と死ぬ話をしていたという事は、そうとう戦争におかされていたのだと思う。
●16歳で人を殺す練習をしていたことに腹が立った。私はなんで人を殺す練習をしたんだろう、人を殺すことはすごく残こくなことなのに、と思いました。
●戦争は、人々をぎせいにしたのにもかかわらず、負けたのなら、最初から戦争なんかせずに、話し合いをすれば多くの人々をぎせいにせず、苦しさなどもなかったと思う。また、人々をだまし続けた政府にたいして、ちゃんと本当のことを話せば、すぐ戦争なんてやめられたと思う。私は世界全体が争いもない平和になってほしい。そのためには、今いる私たちが未来をつくっていかないといけない世の中に今なっていると思う。
●私が思っている以上に、芝さんのお話を聞いて、本当に戦争はざんこくなことだと思いました。あらためて、命は本当に本当に大切なものだと思いました。今のくらしがどれだけごうかなのか、よくわかりました。
●私の知らない戦争中の市民のことというのはとてもおどろきました。金・銀・銅がなくなれば、家々をまわり、金などを集める。もし出さなかった場合、まわりの人たちからスパイだといわれ、変な人と思われる。そんな当時の世の中は、今ではそうぞうできなくておどろきました。戦争をやらせるためにうその情報を言って、戦争をやらせるようにしむけたようにたたきこまれたらとてもいやなのに、それをやらされていたことが、とても聞いていて苦しいなと思いました。
●(新たに関心を持ったことについて)当時、友達とはどんな遊びをしていたのかと、家族とはどんな話をしていたのかを知りたいと思った。
●(新たに関心を持ったことについて)沖縄の地上戦のことがとても気になります。あと、広島の原ばくのことももっと知りたいと思います。芝さんの話をきいて、もっと戦争のことを知りたいと思いました。
●はじめて知ったことは、当時は小学校のころから戦争に関係のある授業を受けていたことです。あと、天皇が神様といわれていたことです。話を聞いてとてもおどろいたことは、食事1日分が食パンの1/4しかないということです。女の人も大変だったのだとはじめて知りました。
●今では戦争はなく、ゲームや映画などでそういった場面が出てきて、それをかっこいいと思う人はたくさんいます。でも本当の戦争は死ぬかもしれないけど、ゲームではかすりきずひとつ付かないのです。でも本当の戦争では、ほかの仲間が死ぬ可能性があるので、それを見たらぼくもかっこいいと言うことなんてできません。
●私はまず、自分の命が自分のものじゃないなんていうことがとてもおかしいと思った。それをふつうに受け止めてしまったその時代に生きている人々は、戦争によっておかしいこととかも分からなくなったんだと思う。戦争をのりこえても家族が亡くなって、食料もなく「餓死」してしまう人が多い。それが、あとからやってくる戦争のきょうふだと思う。
●一番印象に残ったことは、空しゅうを見ていた、ということです。どんどん火があがっていく。見なれた場所のそんな風景を15歳の少女が見ていたことです。どんな気持ちで見ていたのかがとても気になり、自分だったらと考えるとおそろしくてしかたなかった。