国語 ~中1現代文の授業より~

今回は評論である。乙武洋匡の『五体不満足』から、三章段が抜き出されている教材だ。評論は主旨が掴めればよいので、ある意味簡単と言ってよい。誰が読んでもブレは少ないからだ。

教科書を見ながら、意見・主張をまとめてある抽象度の高い部分を取り出すために、具体性の高い、例・比喩などの説明部分を、各自がマークしていく。マークのつかない部分を、生徒の発表をもとに、簡略化しながら板書していくのだが、かなりの量になるので、ここで変わった指示を出す。
「ボードには皆さんの読めるギリギリの字で速く書くので、皆さんも自分のノートに、後で自分が読めるギリギリの文字で、追いつけるように速く書いてください。」と。教科書にマークを入れてあるので、教科書と照らし合わせれば、行書にくずした字でも、平気で読め、質問も出ない。キレイにノートを取ることを心がけてきた者にとっては面くらうような指示だが、結構 面白がっているようだ。

ボード一杯の文字をノートに写して「ふう」と一息ついた生徒は、今度はそのノートにキーワードの印をつけていく。繰り返しや言い換えも含めて、重複する表現、「 」や!などの記号のつく箇所は要注意だ。キーワードがどれなのかを皆で確認した後、それを拾うように、展開に従って要旨を文章にまとめていく。キーワードだと思ったものでも、結局使わないものも出てくる。
三つの章段についてその作業を繰り返した後、ノートを振り返りながら、全文の主旨をまとめる。各章段のキーワードをおさえたノートを見ているので、ここまでくれば、いともたやすい。

仕上げは、自分がまとめた内容が理解できるかどうかのチェックだ。よく分からなければ具体的部分に戻って、説明と合わせてみる。著者の言いたいことがしっかり掴めていたら読解完了である。中には夏前に実施した特別教育活動での体験を重ねて理解を深めようとする者もいる。
ノートは、単なる記憶補助装置のみならず、「使う」ものだということも、こうして学んでいくのである。