第1034回 家族の看取りを体験して

2015年1月20日

今日は、私事で恐縮ですが、同居していた義父の葬儀の体験についてふれさせて頂きます。

先々週、妻の父親が91歳で亡くなりました。約20年前からわが家で同居し、5年前より施設や病院で過ごしました。元気な頃は畑仕事で家族に野菜を提供してくれたり、自分のことはなるべく自分でやる生活力のある父でした。いつも二人の孫を可愛がり、娘である妻や私のことをいたわってくれました。

自分は親孝行らしい孝行もできず、もっぱら妻が世話を続けました。ずいぶん大変な時期も何度かありましたが、親族や近所の方々のお見舞いやお力添えに支えられて最後まで頑張れました。葬儀に先立ってお焼香に来られた方々は、父の顔に現れた微笑みに感動してくださいました。喪主を務めた妻の万感こもる挨拶は参列者の心にしみこんでいたようです。

 

今回の体験で大事にしたいと思ったことがいくつかあります。
まずは義父の葬儀で、妻方の親族とその家族が各地から大勢集まってくれたことの有り難さです。家族葬で執り行いましたが、親族の少ない自分と対照的に妻は姉妹も多く、前から助け合いの様子にひかれていました。こうした機会でないとなかなか親族一同が再会できないのが通例ですが、こうしたつながりも出来るだけ大切にしていかなければと思いました。

父がお世話になった施設の様子のことも心に留まりました。高齢社会の姿を垣間見る思いでした。特に「看取り介護」のお仕事の大変さを知り、スタッフの方々がどんなに誠意あるお仕事をされているか、一人ひとりの尊厳を大切に最後の寄り添いに務めてくださっているか、感謝の念とともに拝見しました。

今回お世話になった葬儀社の方のお仕事ぶりも心に残りました。連日わが家まで往復してくださり、細かな打ち合わせを重ねて、当日も細やかなフォローを続けてくれました。本当にハードな一期一会の業務です。
そして斎場の各部署の方々も、真心こもったご対応ぶりが印象的でした。

 

身内の葬儀ということでは、30年前の実の母親以来のことでした。息子も娘も初体験であり、収骨してわが家に戻るまでを共に過ごしました。義父との様々な想い出とともに、人間の生命の有限さ、家族や親族との絆の大切さについて思いを新たにしたことでしょう。

生徒の皆さんも、それぞれの人生のどこかで、ご家族やご親族の誰かと別れの場面を経験していくことになります。避けることは出来ないのですが、そこで改めて知ることや感じることは、その後の人生の大事な糧となり、支えにもなることでしょう。

自分の心残りは、特に母親を亡くした時にありました。“親孝行したい時に親はなし”との金言を痛感しました。生徒諸君にはこの言葉を特に届けておきたいと思います。

人間は、自分が最も大切にしなければならない人に、誰よりも無神経になってしまう傾向があるものです。家族の間でこそまず、ねぎらいの言葉や感謝の言葉を届け合うことが大切なことを、伝え続けたいと思います。