第484回 釜石市の末永先生から学んだこと~道徳教育講演会から

2012年6月19日

 今日は、6月8日に中学生全員を対象に実施した「道徳教育の時間」で学んだことを改めてご紹介したいと思います。東日本大震災の当事者の方にご講演をお願いして貴重な防災教育の機会にしたいと考え、遠く岩手県釜石市から、末永正志先生に御足労をいただきました。まとめが遅くなったことをお詫びし、ここで学んだことを深く心に留めて、今後の対策を図っていきたいと存じます。

 末永先生は、かつて釜石市の防災課長を務められ、教育委員会と連携して市内の小中学校を廻って防災教育を推進されました。防災教育の第一人者である群馬大学の片田敏孝先生のご指導も受けながら、現場の先生方の幅広い協力を引き出すお仕事でご尽力された方です。その後「釜石の奇跡」と呼ばれた生徒達の自主的な行動には、先生達が開発された防災教育カリキュラムと教材に基づく指導の成果がありました。

 末永先生は、退職後に一般市民として大震災に直面されました。沿岸運転免許センターでお仕事中だった先生は、ただちに仲間のリーダーの方々と救援活動に奔走されました。地域によって被害状況は相当に違っており、生死を分けた様々な運命も見聞きされました。生き残れた事に感謝しながら、この経験を後世に伝える使命感を強められました。三陸海岸一帯には大地震・大津波の経験が過去何度もあります。明治29年、昭和8・35・43年などの事例を話されましたが、「温故知新」の重要性を改めて痛感されました。

 災害は突然やってきます。日常から非日常に突き落とされ、当たり前だった事が急に出来なくなります。この非常事態にこそ人間としての真価が発揮されるのだと先生は話されました。当時の被災各地の写真や動画が大画面で示されましたが、その凄まじい光景に改めて息をのむ思いでした。世界有数の防波堤すら破壊して大津波が地域に襲いかかったのです。
 特に強調されたのは、兆候があるのに即刻逃げずにそこに留まった住民も少なくなかったことでした。「数分後には我が身に降りかかる」災難を受け止めきれずにしばらく猶予してしまう人間の傾向性が指摘されました。片岸町などの様子も衝撃的でした。緊急避難放送も間に合わず一気に津波に飲み込まれた経過は恐ろしい限りです。津波は比較的逃げやすい災害なのに、とっさの判断や行動を起こしにくいのです。だから日常の取り組みで万一の襲来に備える訓練を重ねて、身心に刻みつける必要があるのです。
 釜石市内で当時、学校の管理下にあった小学生や中学生は、大震災に際してほぼ皆が無事ですみました。それは実は意図的・計画的・継続的な防災教育の賜物だったのです。「釜石の奇跡」と呼ばれた状況は、粘り強い取り組みの成果であって、奇跡ではなかったのです。

 緊急避難は時間との勝負です。実は犠牲者の所在を地図で記してみると、「ハザードマップ」の外側に驚くほど多かったことが判りました。「ここは圏外で安心なんだ」との油断が逃走の決断を渋らせました。特に高齢者は移動が大変です。寝たきりの高齢者や車椅子の使用者の移動には何名ものサポートが必要です。「安心マップ」しか持たなかった人達の移動は遅れました。「情報の扱い」こそ注意を要するのです。

 「率先避難者たれ」との津波避難の第一の原則があります。後に全国で注目を集めた、釜石東中学校の生徒達の迅速な行動がありました。サッカー部員などが真っ先に声をかけ次々と校舎を飛び出しました。途中から小学生達と合流し、手を引いて高台へ高台へと走ります。これも「小中合同避難訓練」を重ねた成果が発揮されたのです。途中想定された施設でも止まらず更に高い地点へと移動を重ねます。その中学生達の行動を見て、地域の住民達も続々と高所へ逃げて行きました。合わせて1キロ数百メートルにも及ぶ、三箇所を経由した大移動によって数多くの尊い生命が守られました。中学生達はハザードマップを信じずに、「想定にとらわれるな」との第二の原則に沿って迅速に行動しました。マニュアルを越えた判断で更に安全な場所を目指しました。「最善を尽くせ」との第三の原則をも実行したのです。

 「正常化の偏見」という人間の性が指摘されました。「自分は大丈夫」と過信して、初期のリスク情報をやり過ごしてしまうのです。「同調性バイアス」を打破しなくてはいけません。大切な生命を全うするために、「自分で判断し行動する力」を養うことが重要なのです。
 釜石小学校の児童も全員無事でした。授業参観日には「防災授業」が行われ、下校時には親子で避難訓練して、家族で後で話し合ってみる取り組みがありました。過去の被災の伝承として「てんでんバラバラに逃げなさい」という言い伝えもありました。釜石東中では「助けられる人」から「助ける人」になろうとの気風まで育っていました。生徒会も問題意識を持って取り組みました。「EASTレスキュー」と名付けられた防災教育のプログラムは多彩で、応急措置・水上救助・マップ作り・防災頭巾作り・非常食炊き出しなどで「防災文化」としての“お作法”が培われていたのです。「朝の挨拶」とか「5分前行動」とかが当たり前になるように、自分から進んで行動するのが当たり前になっていたのです。岩手県全体でも他県に比べて子ども・生徒の犠牲者者が少なめだった事が紹介されました。津波防災教育の積み重ねの重要性が示唆されました。

 その後、大震災直後の住民の方々の状況、救援活動の想像を絶するご苦労、人びとの献身的な助け合いなどが具体的に紹介されました。4~-3度もの厳寒の下、3週間も停電した過酷な環境下、住民の緊急移動、食料を得るための緊急隊の結成と派遣など、「衣食住」「医療」「情報」など生命を支える最低限の必要を求めて懸命に動かれたのです。長い年月に渡ってボーイスカウト活動の隊長リーダーを務めてこられた末永先生は大奮闘されました。先生の使命感と行動力は絶大なものでした。「万一の時にあれば重宝」な物として、笛・ロープ・小型ナイフ・懐中電灯・ライターなどの活用まで例示されました。
 次第に判明する生死の分かれ目にも衝撃を重ねられたそうです。「亡くなった人の話は聞けない」のです。生き残れた人の話で、何か忘れ物や大切な物を取りに戻って津波にのまれた人たちの話にも数多く接したそうです。哀しい悔しい思いが次々と押し寄せたそうです。
 その後の復興の日々では、様々な感動にも出会われました。長女を亡くしながら地域復興の先頭に立った男性、被災の辛さを全員野球で乗り越えて県大会で見事優勝した釜石中野球部などいくつかの実話が紹介されました。「逆境の中でこそ人間は頑張ることが出来る、知恵を働かすことが出来る」との思いを強められたそうです。他人を助けるにはまず自分の身を守ることが必要であり、そのためには常日頃の訓練や意識の強化が大切なのです。

 全体の講演時間が少なくて、末永先生には後半のお話をだいぶ早足でまた割愛していただいてしまい、本当に申し訳ありませんでした。ひと休みを入れての質疑応答タイムでは次々と本校の中学生から素朴なまたリアルな質問が寄せられ、その都度丁寧に御返答をして下さいました。
 最後に末永先生は、家族で会議や話し合いを持つことの大切さを強調されました。正しい情報を家族でも共有し、家の中と周りの安全対策を考えること。いざとなればまず自分が積極的に行動することが大事です。また地域コミュニティの課題にも言及されました。隣近所との挨拶や声かけや共同がどれだけあるのかが実はすごく大事になってくるのです。地域の行事イベントには進んで参加したいし、フェイストゥフェイスの関係や絆を地域に深めることが、実は重要な防災対策の柱なのですと説明されました。そして最後に『論語』の金言を引用されて、末永先生のご講演は締め括られました。

 その後も柳下教頭を中心に先生の貴重な体験談や課題意識などお話を伺い、校舎屋上にもご案内させて頂いて助言をいただきました。私立学校で在校生の住まいは相当に広い方面にまたがり、それぞれの居住地域のつながりも三陸海岸の地域とは様相が異なるでしょう。本日学んだことを糧にして、生徒諸君も我々も問題意識を深め、今後も衆知を集めて防災対策や防災教育に取り組んでいきたいと存じます。