第234回 韓国セミナー:参加したメンバーの熱い感想文から

2011年5月9日

 図書室横のメディア室前で、「第3回韓国セミナー・展示発表」のコーナーが設置されています。3月下旬に4泊5日でセミナーに参加した人達の写真、ガイドの文や旅行全体の感想文が展示されています。

韓国セミナーでは、現地でのホームステイの体験を軸に、ミュージカル鑑賞や景宮ビジネス高校との交流、オドゥサン展望台やソウル大学の訪問など多彩なスケジュールが待っています。
美味しい韓国料理を味わい、「日本と似ているようでいろいろ違う」韓国の様々な文化や街の様子に驚き、勉強も自己主張もエネルギッシュな韓国の若者達と出会います。同世代の活力に刺激を受けることでしょう。参加者はみんな、ハングルや英語を今後もっと勉強しようと決心することでしょう。
韓国は、食の文化や映画、スポーツなどあらゆる分野で日本人にとって身近な隣国です。相互の旅行や訪問も活発です。学園の国際教育の一環、「アジアへの第一歩」として始めたこの機会を利用して、ひとりでも多くの皆さんにこの「韓国セミナー」に参加して欲しいと念願しています。
 この春の第3回セミナー参加者の感想文から、特に全体の行程もよくわかり、熱い想いで新鮮な体験を綴ってくれた感想文を1つ紹介します。参加を考えている人、興味のある人には、格好のガイドの役割をはたしてくれそうです。
筆者の曾我君は、いつも明朗で積極的な頼れる生徒です。旅行中は中2の終わりで現在は中学3年生です。少し長い文ですがぜひご一読下さい。


【韓国セミナーに参加して】             曾我 翔太

 2011年3月22日、僕は人生で初めて外国に行きました。飛行機も初めて。藤沢発の高速バスも生まれて初めて。パスポートを本厚木で一人で作ったのも初めてで、全てが「初めてだ。こうやってやるのか。」という調子でした。
 そもそも、「韓国セミナーに参加しよう」と決断するきっかけが二つあります。一つ目は、姉が三年前の2008年に学校が企画した「ニュージーランドセミナー」に行って感激していたからです。その時、僕は日本を出る時の顔は寂しそうな顔をしていたのに、帰ってきたら楽しい顔をして思い出を語る姉を見て「日本を出て外国に行くのは楽しいことなのかな?」と海外に興味を持ちました。二つ目は、家族から離れてどこかに泊まりに行ったり、新しく出逢った人とコミュケーションを取ったりすることが好きだからです。

 出発の二日前の夜。スーツケースに洋服を鼻歌を歌いながら入れました。初めてなので色々考えて沢山入れたので20キロを軽くオーバーしてしまいました。なんとか減らして18キロ。
 出発前日。緊張していたのか一日中腹痛と戦っていました。夜は早めに夕食を済まして11時に寝ました。出発当日午前4時30分起床。15分で仕度をし、家をでて車で駅に行き5時13分の始発電車に乗りました。電車の中では日本文化紹介の英文をちゃんと発音出来るか何度も復習しました。駅では、節電のためエレベーターが使えずスーツケースを持って階段を上り下りするのは大変でした。途中相模大野駅で乗り換えをするので、その時もエスカレーターが停止で大変な思いをしました。藤沢駅には、5時57分に到着しバス停に行くと誰も居なかったので場所を間違えたのではないかと心配になりました。でも荒木先生の「おはよーございまーす」の声と共に笑顔を見る事ができて安心したのを今でも覚えています。
 高速バスに乗って、バスの快適さに感激していると直ぐに羽田空港に着きました。ものすごく綺麗で大きかったです。ホコリひとつ無い空港で気持がよかったです。羽田空港で一万円をウォンに換えて荷物検査へ。荷物は問題なく通過。見送りに来てくださった、山田先生や保護者の方々に別れを告げて身体検査と手荷物検査。手荷物は問題なかったのですが、身体検査のときに警報音と赤いランプがついてびっくりしました。そうです。身体検査ではベルトや財布の金属は引っかかってしまうのです。僕は初めてで、その様な物が引っ掛かってしまう事を知らなかったので検査員に色々質問されて、何とか通過することを許されました。友達には笑われ、僕は冷や汗を流しました。そんな体験をした後は、飛行機に荷物を詰め込む時間はフリータイム。羽田空港の中の売店は免税店といって商品に日本の消費税5%の税がかけられないのです。
 その事を知った僕は思わず、池上彰・手嶋龍一著「武器無き環境戦争」という本を買いました。僕は池上彰さんが大好きで、池上彰さんが書いた本を沢山読んでいます。その影響で「記者になろうかな?」と思っていた時期もありました。しかし、その後はうっすらと「湘南学園を卒業後は、大学で勉強して、また教師として学園に戻りたいな」と思っていました。
 僕は大韓航空機に乗りシートの快適さ、機内食は美味しく飲み物も出て感激続きだったです。飛行機に乗ると耳が痛くなったり頭痛がしたり、耳鳴りがすると言われていますが僕はあまり酷くなかったです。飛行機が高い所まで上昇したので、見上げると綺麗な空、下を望むと広々とした海に雲が浮かんで感激しました。

 二時間ほどで韓国の金浦空港に着きました。空港に着くとガイドさんのチェさんが待っていました。最初の印象は「優しそうな綺麗な女の人だな」。彼女は若い時に日本語を勉強したらしく、凄く日本語が上手でガイドさんでもあり通訳でもあるという感じでした。
 韓国に着いて最初に行った場所は、宿泊するホテルでした。ホテルは大きく高くて「さすが五ツ星!」という感じでした。ホテルにチェックインした後、僕は木村先輩と菅沼先輩と同じ部屋でした。二人とも楽しい人だったのでホテルで過ごした時間はとてもよかったです。
そして、次の日に慶福ビジネススクールで「折鶴の折り方を教える」というイベントがあるので、菅沼先輩に優しく何度も折り方を教えて頂き次の日は助かりました。先輩二人と過ごしていて気付いた事は木村先輩の口癖は「なるほど」と「なかなか」でした。菅沼先輩は自分が高一で一番先輩なのに、後輩によく「先輩~」と言っていました。夕食はバスで数分のお店でカルビを沢山食べました。カルビをコチュジャンを付けた葉に巻いて食べるのが初めてだったので、新鮮な気持ちでとてもおいしかったです。
 その後は、「NANTA」を観ました。「観た」と言うよりも「参加した」の方が正しい言い方だと今は思います。声を出したり、手を叩いたり、リズムをとったりして、自分もNANTAの一部になったという感じです。二時間近くずっと座ったままだったので最初にトイレに行っても途中から大変な思いをしました。その後は、ホテルの近くでバスを止めてもらいコーヒーとお茶を買ってホテルに歩いて戻りました。ホテルの部屋のテレビではチャンネルを変えると日本のNHKを見る事ができました。韓国に来て初めて知ったのですが、韓国は「トイレとお風呂が合体している」と言うことです。日本は別々なので使いにくいような変な気持ちになりました。

 翌朝、6時15分に起きホテルを出る準備をしてから三人で朝食を食べました。朝食はバイキング形式になっており、僕はソーセージとピラフ、コーンフレークを食べていると五十嵐さんが来られたので一緒に朝食を済ませ、部屋に戻ると、まだ時間に余裕があったので時間まで寝ました。その後は慶福ビジネススクールに移動し、日本語の授業を一時間受けて昼食を取りもう一時間日本語の授業を受けました。
 一時間目、韓国語で自己紹介をして鶴を折り紙で折り、みんなで写真撮ったり、2ショットで撮影したりして授業が終わりました。一度待合室に戻り、自習室に荷物を置いて昼食を食べに行ったのですが、移動中に慶福の生徒からメールアドレスの書いてある折鶴を手渡され、まるで韓国ドラマの様な甘い気持ちにさせられました。そんな甘い気分で食堂に行く、ご飯を食べる気持にはなれず、メールの内容をどうするかで頭が一杯になってしまいました。
 二時間目の授業は自己紹介をし、日本の文化を紹介しました。英文を一文読んだ後に日本語でその内容を紹介するという繰り返し授業終了。移動中に鶴をくれた女の子に会って2ショットを写真撮りました。時間なので行こうとすると、彼女に韓国語で何か言われました。チェさんに「今のは“行かないで!”と言ったのよ」と言われ美味しい体験が出来ました。
 オドゥサン統一展望台に行き、北朝鮮を望遠鏡で見たり博物館で北朝鮮の生活や教室の風景、紙幣を見ました。その後、バスでホテルに戻りホームステイ先の家族と対面しました。僕のホームステイ先はホテルの真裏で徒歩5分で着きました。15階建てマンションの最上階にありました。確か、韓国の三分の一の人口はソウルに集中しているが面積が小さいため、住民は一軒家ではなく高いマンションに住んでいるという状況です。水については、韓国政府は安全と言っているが水道水をそのまま飲む人は少なく、沸騰させて飲んだり、麦茶にしたり、ミネラルウォーターを買って飲む人が多いらしいです。家に着くと、オモニとアボジとお話をしました。僕も同室の米田も韓国語は出来ませんでした。自己紹介ぐらいしかできないレベルでした。
 初めてのホームステイで感じた事は「相手とどうコミュニケーションをとるか」という事です。アボジは日本語の勉強をしていたので、ちょっとした日本語は伝わりますが「コミュニケーション」と言う点からすれば日本語も使えなかったです。最後の救いは、英語。英語はちゃんと通じました。僕は完璧に英語を話し、聞いて理解することはできません。そこの隙間は、筆談が埋めてくれました。中国が近いからか、筆談はかなり重要な役目を果たしてくれました。その日のうちに、三日間のスケジュールと自己紹介をする事が出来てなんとかコミュニケーションが取れました。英語の重要性を体感することが出来ました。
 韓国に、行く前は「日本以外の国、生活環境、生活習慣、考え方の違いを学べれば良いかな。」と思っていましたが、行った後は、自分に必要なもの、普段どのような工夫をすればより充実した生活が送れるのかという事を、韓国セミナーは気付かせてくれたと思います。「普段から英語は勉強した方がいい」と。
 その日の夕飯は、骨付きカルビでした。荒木先生から「家のお手伝いをしなさい」と言われていたので夕飯のお皿洗いをしました。韓国の人は寝る時間が早いですね。十時過ぎたら「good night」と言われて部屋に行ってしまいます。僕と米田君は部屋に戻って、韓国語の勉強をしたり色々しました。

 次の日、朝食はミルクにパンに韓国餅みないなやつ。ミルクは日本で飲む牛乳+キムチ風味で非常にしんどかったです。お餅もあんまり口に合わず少し「食文化には苦労するかもな」と思いました。その後、韓国の両親は散歩が趣味らしいので一緒に行くと、山を一時間も使って散歩をしました。朝起きたばっかりだったので、正直きつかったです。
 部屋に戻り一時間休憩した後、僕と米田とオモニで「LOTTE WORLD」に地下鉄を使って行きました。地下鉄の椅子は日本の電車の椅子と違って鉄の硬い素材で出来ており、椅子のしたに暖房機をつけて熱伝導を利用して温かくするらしいです。韓国の電車は全てタッチ式の切符で、乗り終わった後に改札を出て切符を機械の中に入れると五百ウォンが出てくる仕組みになっていました。この五百ウォンは、切符の保証料らしいです。切符を機械に入れて五百ウォン返ってくるたびにオモニが凄く笑顔になって喜んでいたのが印象的でした。「LOTTE WORLD」には日本人二人セットで一枚の券を買うことが出来、五千ウォンとお得な料金設定になっていました。僕らのホームステイ先のオモニと菅沼先輩と木村先輩ペアのホームステイ先のオモニ同士が連絡を取り合っていたらしく、入口で合流した後「今11時で、5時にメインゲートで集合しましょう」と約束をして別れました。
 「LOTTE WORLD」ではディズニーランドでは無いはずなのに・・・ディズニーキャラクターが沢山いました・・・。最初はノリでメリーゴーランドに乗りました。僕と米田君のオモニはお昼ご飯に海苔巻きを作ってくれたので昼食は海苔巻きとお店のスパゲティーを食べました。その後は外の絶叫マシーンの数々をコンプリートしていき、友達に頼まれていたKARAのハラのカードも買って5時ぴったりにメインゲートに到着し、僕と米田君のホームステイ先のアボジにめちゃくちゃ喜ばれました。
 その後、民族資料博物館に行き先輩達と別れ、家に変えると疲れてしまい米田は部屋の布団で、僕はソファで夕飯まで寝てしまいアボジに起こしてもらいました。ご飯を食べた後オモニとアボジが、「今日は疲れているから皿洗いはしなくていいよ。」と優しくしてくれました。その後は、みんなで韓国ドラマとニュースを見た後は部屋へ戻り寝ました。
 翌日、仁寺洞(インサドン)と明洞(ミョンドン)にショッピングに行きました。仁寺洞ではお土産のストラップにいくらか使い、昔の韓国人が使っていた字や服装を見学した後、バスで移動し明洞に移動してお寺に行き、お寺に詳しく日本語も話せる人に説明を受け境内の仏様三体に三礼し、少し歩きショッピング街に行きトッポギやフランクフルトを食べながら、さらにお土産を買って地下鉄で家に帰りました。その後夕食を済ませ皿洗いを済ませた後、韓国ドラマを見て、サッカーのテレビ中継を見た後部屋に戻り寝ました。

 翌日、韓国セミナー最終日。スーツケースに洋服を詰めて部屋の片付け。10時を過ぎたあたりで荒木先生と五十嵐さんが家に来て、写真撮影をしたり動画を撮ったりお茶したりお話したりとしてホテルの方に戻っていきました。
 最後は家族みんなに見送られて帰るのかと思っていたら、お姉さんが仕事に行き・・お父さんが仕事に行き・・・一人、また一人とお世話になった人とお別れをしていかなければならず、すごく寂しかったです。ホテル集合まで時間があったので住所を教えたり、メアド交換、名刺を頂いたり、オモニと日本語の発音の勉強をしてホテルに行きお別れをしました。
「本当に三日間お世話になりました。」・・・久しぶりに、チェさん会えて寂しい思いも少し楽になりました。「これからもメールで連絡が取れるのだから、家族とは繋がっていられると。」と思えて。
 その後はソウル大学に行き、木村教授にクローン犬の見学をさせていただきました。ソウル大学に行く前に、あらかじめ質問する内容は決められていたのですが、木村教授がソウル大学で初めての日本人教授という事を聞いて僕は教授にお伺いしたい事が沢山あり、昼食の時に男子の輪から外れ教授の隣で昼食を食べる事に成功しました。木村教授はご結婚されていて、湘南学園に非常に近い所にお宅がありました。僕は「何故、家族から離れてソウル大学の教授をなされているのだろうか?」と質問しました。自分だったら家族から離れるのは寂しく、心配になってしまうからです。教授はこうおっしゃいました。「確かに家族と離れるのは寂しい。だけど自分が獣医学を韓国の生徒に教える事で生徒の心の中に{日本人から獣医学を学んだ}と思ってもらえる。そのことで日本と韓国との歴史を変えたい」と。
 韓国と日本との歴史・・・僕は東日本大震災で山田先生の歴史授業が受けられなかったので自分なりに歴史を調べたのですが、韓国併合があったり民間人を日本に拉致するなど暗い過去があり、教授は大変難しい事に挑戦しているのだなと思いました。一人でその難しい事を始めている教授の志にとても感激しました。
 その後はバスで空港へ行き、いよいよ韓国との別れ。空港に着くと荷物チェック。その後は、ウォンを円に換金し空港の中へ。チェさんとの別れ。一番僕の心の中で重くのしかかりました。なんだかチェさんと別れ、姿が見えなくなると韓国で作った思い出、家族、慶福で出来た友達、みんなの優しさが過去の話になって終わってしまう様な気がして・・・。
 チェさんに抱きしめてもらうと、我慢できなくて涙が溢れてきました。でも、最後は笑顔でお別れしたいから泣きながらも笑顔で手を振ってお別れ出来たと思います。別れを惜しんで号泣、沢山カメラで撮られました。荒木先生は感激して動画を回しながらインタビューを求めてきました。泣きながらも答える自分。
 その延長で荷物検査を受けると警報が鳴り荷物を見られ、体に金属探知機を当てられるという、僕だけ大変な事になっていました。行きの羽田空港でも帰りの金浦空港でも引っ掛かる自分は何なのだろうか。機内に入り、いよいよ離陸。どんどん高度は上がり、ソウルの特徴である高層ビルがどんどん小さく見えてきます。そんなソウルを見ると寂しく涙がまた出そうになりました。
 帰りは機内食を食べるとすぐ羽田空港に着いてしまいました。ソウルは日本よりも西に位置しているので時間は少ししか経ってないのに、すごく暗くなってしまった様な気がします。帰りは電車で帰ろうと思っていたのですが、五十嵐さんがわざわざ僕に相模大野行きの高速バスが出ている事を教えてくださったので、楽に家に帰る事が出来ました。

 今回の韓国セミナーで僕は色々な体験が出来ました。
 それは、僕を行かせてくれた親、旅券やセミナーをサポートしてくれた湘南学園、荒木先生、五十嵐さん、韓国の事お金の事大切な話をしてくれたチェさん、三日間不自由なく養ってくれたホームステイ先の家族、その他沢山の人のおかげで韓国セミナーが成功したのだと思います。本当にみなさんありがとうございました。また来年も、韓国セミナーに参加させていただこうと家族とも話しておりますので来年も宜しくお願いします。
 今回の韓国セミナーで新しく出逢ったホームステイ先の家族や慶福ビジネススクールで知り合った友達と今メールをしています。これからもずっと、大切に仲良く連絡を取っていきたいと思います。(以上)