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セレンディピティ(幸福な偶然)

2017年7月28日

 今月は、毎年、湘南学園幼稚園最大の行事ともいえる「さくらわくわくデー」(1泊2日のお泊り保育)が行われる月です。
 
 「さくらわくわくデー」は、年長児全員がおそらくは初めて家の外で泊まる行事ということで、子どもたちにとっては大冒険の機会となります。少し不安な気持ちを持ちながらも取り組む大冒険は、子どもたちの成長につながる貴重な行事となっています。

 今年も昨年同様「さくらわくわくデー」の一日目の夕食を園児と一緒にご馳走になりました。園児が事前に野菜等の買出しに出かけ、野菜を切ったり等の準備を行い、先生の指導のもとで作ったカレーライスを大変美味しくいただきました。

 その折に子どもたちに何をメッセージとして伝えようかと考えた末に、「心が大きくなる」という話をすることにしました。

 「お泊り会が終わり、明日になると、みなさんは何かが大きくなっているはずです。何が大きくなるのでしょう」「それは心です。明日になると、きっと、みなさんの心が大きくなっています」「心が大きくなるというのはどういうことだと思いますか。考えてみましょう。分からなかったらお家の方や先生に聞いてください」

 私としては、お泊り会を経験することにより、「お友だちへの思いやりが増したり」「ご両親や先生方への感謝の気持ちが増したり」「自信が増したり」することを期待し、「心が大きくなる」という話をしました。

 行事終了後、幼稚園園長から、「学園長からの子どもたちへの話、『明日になったら、きっと心が大きくなっていると思います』が一人ひとりの子どもたちにしっかりと響いておりました。わくわくデーの『帰りの会』、そして今朝の登園時の姿は、皆、胸を張り、自信に満ちた表情でした」と、これ以上はないうれしい報告をいただきました。
 
 今月半ば過ぎ、聖路加国際病院名誉院長で、生涯現役を貫かれた日野原重明先生がお亡くなりになったということを知りました。日野原先生からは、勇気や感動をいただいた方も多かったのではないでしょうか。105歳で亡くなられたという報に接しながら、私も、十二年前に日野原先生の講演をお聞きしたことを思い出しています。当時、日野原先生は九十三歳、講演のタイトルは「いのちの源泉を尋ねて」というものでした。先生が約一時間半、一度も椅子に座られることなく、原稿なしで、聞くものを引きつけてやまない話をされたことは今も強く印象に残っています。
 
 先生のお話は、小学生相手に講演を行った際、心のつく漢字をあげてくださいと問いかけたということから始まりました。心はいのちと言い換えてもよい。心に近い言葉が、いのちである。いのちは目に見えない、いのちだけでなく大切なものは目に見えない。いのちは目に見えないが、たとえば、木々の葉が揺れることで風があることを感じたり、夕日に写る影で自分の姿を感じたりすることができるように、いのちのあらわれ(vital sign)を感じることはできると話をされました。
 
 さらに、その講演の中で、今ある人生をどう生きるかということも話をされました。今ある人生をどう生きるかは、自分の時間をどう使うか、何に使うかの選択でもある、と言われた後、一方で、人間は生まれたときから死の萌芽を宿している、「Man is mortal」であると続けられました。そして、「生きていることは、「当然か」、「驚きか」、「感謝か」」、「朝、目が覚めたとき、目が覚めたことを感じるのは、「当然か」、「驚きか」、「感謝か」」と問いかけられました。

 医師として、生と死の場面に長年直面されている方の言葉と受け止めたただけでなく、日々の生き方そのものについて、私自身思わずはっとさせられる言葉でした。

 先生は、毎日午前2時に就寝、睡眠時間は5時間であると話され、よく歩かれ、93歳の当時、エレベータは使わず階段を歩いて登られるということでした。

 先生は、最後に「やったことのないことをやりなさい」という言葉で締めくくられました。
  
 その折、講演会場で先生の本を買い求め、同時に先生に署名をしていただきました。

 先生の美しい文字で記された「日野原重明」の署名入りの『幸福な偶然(セレンディピティ)をつかまえる』という本を改めて手にしています。
 
 「セレンディピティ」、セイロン(スリランカ)の三人の王子の話がもとになっている言葉とも聞きます。「偶察力」、「幸運をつかむ力」というような訳もあるようですが、日野原先生は、「幸福な偶然」と訳されています。

 日野原先生は、「幸福な偶然」は身近な所に、それも少なからずあるということ(もちろん、それに気づくためには、それを察知することが必要になります)、もうひとつ、一見すると不幸と思われることにも「幸福な偶然」はあるということを言われています。

 日々の生活の中で先生自身が出会った「幸福な偶然(セレンディピティ)」の例は本に譲ることとして、一見しての不幸が「幸福な偶然」になったこととして先生が挙げている例を少し紹介します。

 先生が医師を志したのは、小学校四年生の時にお母さんの病気を救ってくれた小児科医に憧れたことだったこと。日野原先生は、「貧乏と母の病気という不幸なしでは、私が医師という生涯の職業にたどりつくことはなかったでしょう」と述べています。その同じ時期小学校四年生の時に、急性腎臓炎で、四ヶ月間自宅安静、一年間運動禁止になり、お母さんが「(運動好きの日野原少年が)運動ができなくて可哀想だからピアノを習わせましょう」ということで、生涯の友となる音楽と出会ったこと。先生は、「楽譜が読めるようになるというのは、外国語をひとつ修得するようなもの。人生を豊かにしてくれます」と述べ、音楽との出会いに感謝しています。

 さらに、京大医学部に入学後、結核性胸膜炎で長期の療養を余儀なくされた話も出てきます。絶望的な気持ちを何度も味わいながら、病気が回復し、日野原先生は、医師の道に邁進することになります。医学部の先生が言われた「急がば回れ、怖くても回れ、思わぬ幸福な偶然あり」という言葉を日野原先生は自らを省みながら味わいます。
 
 あるいは、「幸福な偶然」そのものと思われるよき師との出会いの話もでてきます。日野原先生が、生涯の恩師の中で、真っ先に名前を挙げられているのが、神戸の諏訪山小学校五年、六年の担任の谷口真一先生です。谷口先生は、玉川学園創設者で本学園初代園長の小原國芳先生の弟子に当たる方で、生徒の自主性を重視する「ドルトン・プラン」の実践者ということでした。

 小原先生のお弟子さんである谷口先生が日野原先生の最大の恩師と伺い、日野原先生への親近感がより増すような気持ちを勝手かもしれませんが抱かせていただいています。
 
 その本の中には次のような一節もありました。

 まだまだ私は夢を追いつづけています。
 とりあえず今取り組んでいることは、日本の医学教育の刷新です。日本では医科大学での教育は高校卒業後六年間ということになっていますが、それを改めて、高校卒業後、文科系あるは理科系の四年の大学を終えた者が、さらに四年間医学の専門課程を習得するという教育制度の改革です。この実現には、あるいは数年かかるかもしれません。そうなれば、私も百歳まで生きつづけなければならないということになります

 この一節を読みながら、私は、「リベラルアーツ」について考えています。日野原先生は、「リベラルアーツ」を土台にした医学教育を構想されていたのかもしれないと思ったりもしています。

 他のところでも述べているように、わが国の今後の教育(もちろん湘南学園の今後の教育)を考える上での最も重要なキーワードは「リベラルアーツ」にあると私は考えています。
 
湘南学園 「湘南学園幼稚園児の大冒険」、「日野原先生が講演の最後に述べられた『やったことのないことをやりなさい』という言葉」、挑戦することの大切さを改めて感じさせてくれます。

 そして、「セレンディピティ」。自分の身の回りをしっかりと見つめ、自らの成長に生かせるものを取り入れていくこと、同時に、物事を前向きに捉えながら挑戦していくことの大切さが、この言葉には込められているように思います。何より、湘南学園で学ぶ子どもたち全てが「セレンディピティ(幸福な偶然)」に出会う(気づいてくれる)ことを願っています。

 日野原先生の署名入りの本を手にしながら、十二年前、先生の講演をお聞きできたことは私にとって何よりの「幸福な偶然」であったと、しみじみ考えています。