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第157回 「つながっていても孤独」と会話

2020年2月15日

 前回の通信と同じ出典になりますが、かつてNHK教育テレビで放映された『スーパープレゼンテーション』で視聴したある講演内容を改めて振り返り、その後の推移もふまえて、現代のテクノロジーと人間の生活や心理の関係について考えてみたいと思います。
 
 『つながっているのに孤独?』という題で、米国マサチューセッツ工科大学のシェリー・タークル教授のスピーチでした。その後もスマートフォンの普及などIT技術の著しい進展を受けて、問題提起を続けておられる女性です。
 シェリー女史は、「デジタル機器が人間の心理に及ぼす影響」に関して早くから研究に取り組んだ心理学者で、家庭にパソコンが入ってインターネットが普及し、ロボットやソーシャルメディアが社会に広がったこの半世紀の軌跡を分析してこられました。
 人間生活を豊かにすると肯定的だった当初から、一転して「Connected、but alone?」とその弊害を指摘し、いつでもどこでも連絡を取り合える日常生活が出現した一方で、対人関係の全般に大きな変化がもたられされたリスクについて注意を喚起するようになりました。
 
 当時の講演から、食事中や会議中や友人と一緒にいてもケータイを離せずメールを続ける姿や、子どもまで「一緒にいるのに一緒に遊ばない」でケータイに夢中になる姿を確認し、「Alone Together」(一緒にいても別々)の関係が広がる様子に注目を促しました。
 人づきあいが苦手で「ほぼ何でもメールで済ませる」という青年が「いずれは会話の仕方も覚えたい」と語る様子も例示されました。直接に顔を向き合わせるを避け、他人との関わりで適度な距離感を保ちたい心情があるのです。
 シェリー女史は、会話とは「リアルタイムで進行し、発言をコントロールできない」厄介さもはらむが、メールやSNSは「編集が効いて削除も自由にできるし全てを補正できる」から優先しやすい。それで「conversation」を「connection」に置き換える風潮が広まったと分析していました。
 
 そこで女史は、人間の成長と豊かな人生のために、「会話の重要性」を改めて力説しました。人間関係は奥が深いが面倒でもある。相手のことを知り理解を深めるのに対話は必要であり、他人との会話から自分との向き合い方も学べる。対話を避けていたら「自己を内省する力」は身につきないと説きます。
 そしていまこそ、直接の対話を大事にしようと説きます。相手の話を聞き、ささいな話にも耳を傾け、相互の理解を深める時間を再び大事にしようと。
 
 その後スマートフォンが普及し、さらに便利な機能が次々と加わりました。魅力的な各種のSNSを通して見知らぬ遠くの人たちともつながる嬉しさは、生活に欠かせない楽しみとなりました。人間のパートナーとしてのロボットも続々と開発され、店舗や事業所の接客まで担当し、高齢者の介護施設などでも活用される時代です。
 女史は、直接の対話や交流をすることに臆病となり、楽をして「つながる感」を求めるばかりでいいのかと問います。ネットを通じて「どこに意識を向けても良く」「誰かに注目される可能性があり」「孤独にはならない」心理というのは、「もっとつながろうとして逆に自分を孤立させる」、いわば「connection」から「isolation」へ傾く心配もあると指摘します。
 
 そこから「人はひとりでいることも覚えないと実は孤立してしまう」、「他人としっかり付き合うためには独りで自分を見つけることも必要」と、当時から課題提起をしていました。
 独りでいる時間の大切さも強調し、独りでいることを覚えないと子どもや若者は逆に孤独になりやすいと説きます。独りになれない人は、不安やむなしさを払拭するためにテクノロジーを通して他人と関わるのに慣れていく。
 しかしそれでは弱い自分を支えるために相手を利用しているだけではないかと説きます。一時的に淋しさを紛らわしても後でもっと孤独になるのではと。
 この便利なツールをどう生かすかは、まだ人間にとって黎明期の経験であり、他人や自分自身ときちんと向き合う時間も意識的に大事にしようと説きます。独りの時間をつくる大切さを知るため、たとえばダイニングではスマホを原則禁止にして家族の会話に努めてはどうでしょうと勧めるのです。
 
 毎日の生活で自由に使える時間は限られるものです。その時間をどう割り振るかはその人次第の選択です。機器に親しむ時間を意識的に制限してコントーロールするように努めたいものです。生活のバランスを改めて心がけ、家族や友達や大事な人たちと会話する時間を大事にすること。誰もが問われていることがらだと思われます。