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第156回 「内向的な人」に秘められた力

2020年2月12日

 「ネクラ」とか「オタク」という常套句があります。人間はそれぞれ多様な個性や性格を持ちますが、強引な類型によってレッテル貼りするような風潮の中で流行した言葉といえるでしょう。
 自分自身も「ネアカ」とはいえないし、気にし過ぎたりくよくよ気に病む傾向があります。でも時にははじけて陽気になることもあるので複雑です。
 「気質」は先天的ですが、「性格」とされる行動や意欲の傾向は変わっていく部分もあると指摘されます。今回はそんなテーマにふれたいと思います。
 
 子どもから青年へと向かう時代、自意識が強まる中で性格について悩む人は多いものです。日本の若者が総じて「自己肯定感」が弱いことはいつも心配されており、能力や性格に自信を持てない傾向はさらに広まっているようです。
 たとえば、みんながワイワイ盛り上がっている時に、その場の雰囲気や「空気」についていけない経験などよくあるでしょうか。そんなことが続くと「自分の性格なんだ」と受けとめやすいことでしょう。
 
 筆者はひとりっ子として育ちました。当時の教室では少数派でした。田舎にいた小学生の時代、友だちとも野球や陣取り遊びや虫取りなどしましたが、ひとり遊びの時間は長かったです。ゲーム類もあまりなく、架空の相手を設けて空想の世界に遊ぶこともありました。中高生時代は行事や部活も人並みに楽しみましたが、独りの時間は落ち着きました。大学生時代も周囲の高揚についていけない時があり、いつも陽気で笑顔を絶やさない人をうらやましく感じていました。
 
 数年前に、米国女性スーザン・ケインさんのTVスピーチに共感しました。
 「内向的な人」は、社会で誤解や偏見や冷たい視線を受けやすいが、実は豊かな創造性やリーダーシップを発揮できる可能性も持つことを知って欲しい、と彼女は語りました。小さい頃から本が好きでイベントにも本を詰め込んで参加し、集団行動に概して馴染めず、周囲から疎まれることが多かったそうです。
 米国の教室ではグループワークが主流で、外交的で行動力のある生徒が評価され、単独行動を好む子は「はぐれ者」扱いされやすかったそうです。職場でも外向的なコミュニケーション能力が優遇されました。
 「イントロバート」(内向的な人)の一人として、スーザン女史はその潜在的な能力や認知されるべき可能性を説き、「内気」というより様々な社会からの刺激に対してどう反応するかの傾向であり、イントロバートは静かで落ち着いた環境の中で能力を発揮し、創造性や指導性を発揮できると説きました。
 
 スーザン女史は、米国の社会では「考える人」よりも「行動する人」が好まれ、多民族の入り混じる競争社会で「知らない人たちの集団の中で自分の能力をアピールする」必要が高まり、創造性や生産性はもっぱら社交的な場から生まれるとの風潮が強まったと説明します。
 しかし人生には孤独も重要なことが例示され、人類の大宗教を拓いたモーゼ、ブッダ、イエス、ムハンマドらは、探求者でひとり放浪して啓示を得てコミュニティへと持ち帰り、世界を変革したことが確認されます。
 またエレノア・ルーズベルト、ローザ・パークス、ガンジーらの偉人は、自分を無口で静かな話し方をする目立たない人間だと自覚し、表に立つことを嫌ったのに、世の注目を浴びて重要な変革を指導しました。あのダーウィンは、森の中を長時間独りで散歩し、パーティーの招待はきっぱり断っていました。
 彼女はそうした事例をいろいろ紹介し、内向的な人は内省力に優れる分、注意深く大きなリスクを避けるだけでなく、周囲がアイデアを出し活躍するのを促しやすいとの研究も示したそうです。
 
 スーザン女史は、自分の夫や親友など外向的な人たちのことも好きだし、カール・ユングが「内向的・外向的」という言葉を広めたが、人間は極端にどっちかの人もいるけど「両向的」な人もいるし、社会は両方の個性を必要とし、そのバランスも大切なのだと説いていました。
 創造性は、共同作業からも孤独からも生まれるのです。時には人びとや電子機器から離れて「荒野で思索する」時間も必要だと説いていました。
 彼女は別の著作で、現代資本主義社会では、深い思考は苦手で口先が巧みな「エクストロバート」(外向的な人)を量産するシステムが、教育でも日常化してはいないかと問いかけました。人間のコミュニケーションのスタイルは多様であり、それぞれの長所を生かし合う社会、人間の多様性を認め合う社会が大切なのだと力説していました。
 
 以上のような主張には、教員や保護者が子ども一人ひとりを理解し、認めて関わる上で重要な知恵があると思われます。それぞれの可能性を発揮できる人生の方向を選択していけるように寄り添って助言していく。決めつけずにその子の個性や特性について注意深く理解に努めることが大切だと思われます。