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第231回 鵠沼海岸と海水浴場・注目の展示会

2021年10月27日

 湘南学園の最寄り駅「鵠沼海岸」駅から、海側に徒歩数分の所に「鵠沼市民センター・公民館」があります。その1室に「鵠沼郷土資料展示室」があり、いつも市民の運営による独自の素晴らしい企画展が開催されています。今回は、現在開催中の<鵠沼海岸は「海水浴場」から始まった>の展示会についてご紹介します。
 
 鵠沼海岸は、江の島が目の前にあり、富士山も鮮やかに見渡せる最高のロケーションに恵まれた場所です。この一帯はサーファーの方々にとっても最高のスポットです。コロナ禍の中で来場者は少ない現状ですが、「海水浴場」という言葉は、この地域をめぐる長い歴史の中で重要なキーワードになります。

 今回も、内藤喜嗣先生によるご案内のレクチャーを頂戴しながら、展示室の外から室内の全体にわたって貴重な歴史資料を見学することができました。内藤先生は、湘南学園のご卒業生でおられ、地域の歴史に誰よりも精通され、新聞やタウン誌の取材も数多く受けてこられた方です。
 
 「平安時代の鵠沼はどうだったのか」を知る資料から始まり、江戸時代の半ばから幕府の砲術訓練場とされて無人地帯のままだった時代もあったことに接しました。明治維新と文明開化の中でこの地に「海水浴」の文化がおこり、著名な外国人も来訪したことを知りました。温和な気候にも恵まれる鵠沼海岸は、病気治療や療養の「潮湯治」の地として注目を集めたのです。当時から板に乗って波乗りに興じる若者がいたこともわかります。
 1886年に「鵠沼海岸海水浴場」が開設され、旅館も開業されて繁盛しました。周囲の地域には分譲された別荘地が広がり、1902年に開通した江ノ電鵠沼駅から浜辺までが「鵠沼海岸」と呼ばれるようになりました。1923年の関東大震災では壊滅的な打撃がありましたが、相模湾一帯が隆起して砂浜が広がると塩害対策で防砂林が延々と整備されました。

 1929年に小田急線江ノ島線が開通し、鵠沼海岸駅が開業されます。学園建学の1933年をはさむ時期には、「海の家」やホテルが開業され、引地川の改修工事や湘南遊歩道の敷設が行われました。県営鵠沼プールも出来て、市営プールの時期を経て登場した「小田急鵠沼プールガーデン」(~2000年)は長く運営され、自分も利用した懐かしい施設です。
 その後鵠沼海岸海水浴場は閉幕しますが、地域一帯は新たに華やかな観光スポットして発展していきます。特にサーフィンやビーチバレーなど各種のマリンビーチスポーツのメッカとして、鵠沼海岸一帯は脚光を集め続けていきました。
 
 展示会ではサーフィンをめぐる歴史も詳しく紹介され、草創期の時代から湘南学園の関係者の方々がその興隆をリードされていたことや、ライフセービングの訓練や普及もこの地域から普及していったことを知りました。
 また、日本女性の水着の変遷や、海水浴場最初の旅館・地元商店街が管理した監視やぐらなど多彩な写真、藤沢市とマイアミビーチ市が世界初の姉妹都市提携を実現したドラマを知る貴重な記録など、具体的な歴史に沿った興味深い資料が満載で、内藤先生のご案内を受けて様々な史実を知り、本当に学ぶことがたくさんありました。湘南学園の立地する鵠沼地域、鵠沼海岸の界隈に積み重ねられた奥の深い歴史の軌跡について、理解を深めることができました。
 
 今回の展示会は、2003年に発足された「鵠沼郷土歴史資料室」にとって実に第48回目の企画展になります。この企画展はこの先来年2月15日(火)までのロングランで、10~16時(月曜日と年末年始は休館)に見学できます。学園生、保護者、教職員などの皆様に見学していただきたいです。ご来園の機会などご都合をつけられ、展示会の会場へぜひお越しください。