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第247回 詩に親しみ言葉を紡いで生活する

2022年3月16日

 感染予防のために日々の生活の中で我慢することが増えました。人間は本来誰かとおしゃべりして笑い合い、共に食べて飲んで盛りあがる時間を楽しみにして生きてきました。音楽やスポーツを通じて感動を共にする場面も心の栄養になることが実感されてきました。
 しかし「3密を避け距離を空けて会話も控える」ことが指摘され、不自由な生活が大人にも子どもにも求められています。向き合わずに孤食でとされる学校給食をまず思い出します。身近だったカラオケや居酒屋等も遠くなり、好きな歌やコーラスで心通わせる機会もめっきり減りました。どこでもリアルな対面交流が抑えられ、SNSやバーチャルな交流が広がりました。一方で空疎な情報や言葉が量産され飽和状態の社会では、人知れず孤立感や疎外感を持つ人たちが増えて心配されています。
 
 今回は「詩と生活」をテーマにします。「詩」は誰もが親しみ自分で書くことができる対象です。詩に向き合い言葉を紡いでみることは、今の生活や家族など自分をとりまく人間関係を見つめ直し、街や近隣の景色、季節の変化などに気をとめ、過去を振り返って将来への思いを深めることにもつながります。平凡な毎日が実はかけがえがないこと、世の中の営みやつながりはとても奥深いことが再発見されます。生活の楽しいリズムを整えることにもつながると考えられます。
 そこでこれから何名かの詩人や作品を紹介させていただき、参考にしていただければと願って書きとめていきます。長くなりますがお許しください。
 
 まず始めに紹介したいのは、<金子みすゞ詩集>です。
 多数の選集があり、『わたしと小鳥とすずと~金子みすゞ童謡集』(選者 矢崎節夫、JULA出版局 1984年刊)や『こだまでしょうか、いいえ、誰でも。~金子みすゞ詩集百選』(宮帯出版社 2011年)が見つかりやすいかなと思われます。声に出して愛唱される珠玉の名作が数多くあります。東日本大震災の後にTVでよく流れた「こだまでしょうか」の一作も人びとの心に沁みました。
 金子みすゞは山口県の漁師町に1903年に生まれ、本が大好きな少女でした。家族との別離が続き、女学校を卒業後は下関の書店で働きながら、大正時代にブームとなった童謡詩の世界にあこがれ雑誌投稿を始めます。優しくて詩情にあふれ、人間の孤独や小さな命のはかなさを見つめ、ふるさとの情景から宇宙の成り立ちまでを描く作品は多くの読者を惹きつけました。しかし彼女は不遇な生活に悩み、一冊の詩集も刊行できずにわずか26年間の生涯を終えます。その後多数の関係者がみすゞの詩の世界を広く伝えようと全容を掘り起こして、現代を生きる人びとにも新たな共感が広がり、読者の心を癒してきたのです。
 NHKのEテレ番組『100分de名著・金子みすゞ詩集』は、2022年1月放送でしたが大きな反響を呼び、今も書店にテキストが並んでいます。『赤毛のアン』の日本初の全文訳を手がけた作家・翻訳家の松本侑子さんが執筆し、みすゞの理解者だった弟との関係など親族の取材も進め、彼女の生涯と人間としての実像を追跡した論考は素晴らしく、私達が愛誦してきた名作の理解を改めて深められる最良のテキストです。
 
 茨木のり子は、自分も学び続けている偉大な詩人です。
 「自分の感受性くらい」「倚りかからず」「わたしが一番きれいだった時」など名作が数多く、没後16年経つ現在も詩集の重版やテレビ特集が続き、新世代や海外の人びとも惹きつけています。駅ホームの前に太平洋が広がるJRの小さな駅を舞台にした「根府川の海」も心に沁みる作品で、駅舎を訪ねたことがあります。
 多数の文庫本などが出されていますが、『谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』(岩波文庫 緑版 2014年)をまずお勧めします。『小池昌代編 吉野弘詩集』(同 緑版 2019年)も合わせてご紹介したい名詩集です。
 上京した学生時代の彼女は戦時下の空襲や飢餓に苦しみ、劇作も経て結婚後は家事をしながら詩を投稿し、仲間と始めた同人詩には優れた詩人達が集まりました。強制連行され戦後日本で生き延びた中国人の人生を長編詩で描いたり、ハングルを習って詩を通じた国際交流も進めるなど社会派の詩人でもありました。医師の夫を若くして失ってからも常に個人として凛として、強く美しく人生を歩んだ茨木のり子の詩の言葉は、現在も人びとの心を捉えて励まし続けています。
 茨木のり子には、実に40年以上のロングセラーとなる詩の入門書もあります。「岩波ジュニア新書」を代表する『詩のこころを読む』です。良い詩には人間の心を解き放ってくれる力や生きるものへの愛おしみの感情を誘い出す力があり、詩は世界の国々や民族のことばの花々でもあるとの書き出しで始まり、彼女の心の底深くから真っ先に出てくる大好きな詩たちとその魅力を紹介した本です。「1生まれて、2恋唄、3生きるじたばた、4峠、5別れ」の章ごとに紹介される名作を通じて豊かな詩の世界に誘いこまれます。
 彼女が最愛の夫への想いを綴った詩集『歳月』(花神社 2007年)を特筆します。生前は未公表の作品群が確認され、親族など関係者によって入念な準備で世に出されました。二人して共に生きてゆきいずれは別れる夫婦の絆の尊さが心深くに届く作品です。
 
 高田敏子は、自分も詩を創ろうと決意させてくれた最も敬愛する詩人です。
 『新編 高田敏子詩集』(新・日本現代詩文庫 土曜美術出版販売 2005年)がまずお勧めです。作品論や年譜、母親の姿を述べる娘さんのエッセイも収録されています。
 1914年に日本橋の商家に生まれ、関東大震災も体験して10代から詩作を試み、投稿を生きがいに同人誌にも参加しました。20歳で結婚後はハルビンや天津や台湾高雄でも暮らし、都内に戻って詩作を再開します。朝日新聞家庭欄に毎週月曜日、写真付の詩を連載するチャンスに恵まれ三年以上も続け、全国的な反響を呼びました。名作『月曜日の詩集』は自分も学生時代に購入しました。主婦の目線で街の光景や子育ての喜びや人びとの喜怒哀楽を、素朴でみずみずしい生活実感あふれる言葉で紡ぎ、難解と思われていた「詩作」の世界を庶民へと引き寄せる旗手となりました。
 連載終了後に彼女は、詩誌「野火」を刊行します。全国の詩の愛好者が集って交流が広がり、毎号の合評会や各地のグループの支援や会員達の詩集出版の相談など詩の普及運動に取り組みました。詩やエッセイや合唱組曲など創作を続けた彼女は、洋裁など家事も得意で交際や遊び事も大好きでした。詩を創ることは自分にも他の人にも喜びを届けられるからと手離さず、気が弱くて寂しがり屋で絶望しやすい自分の思いを広げて、生きる喜びの方に連れていく手立てとなったと述べています。
 高田敏子は『暮らしの中の詩』(河出書房新社 2013年)において、「毎日を丁寧に見て、丁寧に味わうことから詩は生まれるのです」「・・・小さな出会いや経験も大切にして・・・人生への愛着を深めてゆくのが詩の心です」と述べています。
 「自分を低くして対象と向き合う心。身の周りのものを丁寧に見ること。余分な言葉を削って最もふさわしい言葉を選ぶ力。詩を書く上での大切なことが、生きていく上で役に立つのだ」と彼女は語っていたそうです。『高田敏子全詩集』(花神社 1989年)はわが家のデスクの最前列に置いています。今後も少しずつ親しんでいきます。
 
 ここで「誰もが詩を書ける」ことを励ます貴重な書籍を紹介します。
 『詩を書くってどんなこと?~こころの声を言葉にする』(若松英輔著、平凡社 2019年)という本です。若松英輔氏は批評家・随筆家で東工大教授を務め、詩学や歴史に詳しくTV出演も多い方です。
 若松英輔氏は、詩を書くのに大切なのは上手下手ではなく、真剣に書くことと言葉への愛であり、詩は「本当のこと」を探す旅でもあると述べます。詩を書くことはまるで言葉というスコップで人生の宝物を探すようなもので、その旅に終わりはなく、その道程は尽きることのない発見に満ちていると説きます。この本を通じて卓越した作品を残した数多くの日本の詩人を始めて知りましたが、家業に追われて引退してから80歳で詩作を再開した人物も紹介されています。生きることが厳しい現代では若い人こそ「詩が秘薬になり得る」と若松氏は述べます。自分を見失いそうな時、自分が嫌いで信頼できず明日が怖い時、詩は私達を救い上げてくれることがあると説くのです。
 詩情=ポエジーとは、「いのちの音をつかみとろうとする私達の本能」であり万人に備わっていると述べられます。「詩情」は「仏性」と同様に全ての人に分け隔てなく内在していると古来から認識されたと指摘し、詩は個人の内界を照らしその姿を自分のために描く営みでもあるとも説明されます。詩の本来の役割は、「世界の暗がりを言葉によって照らし出すことです」との一節も心に残りました。
 また子どもを観察したモンテッソーリが「書くことの爆発」を指摘したのを受けて、詩は「読む」と「書く」を相乗的に呼吸するように深めていけることを説明します。言葉を「待つ」力や訪れるものを見逃さない力が大事であり、「詩の訪れ」に語彙の多少は重要でなく、少なくとも親しい言葉で充分であり、むしろ誰かに向かって言葉の贈り物を届けるように詩を書くのが大事で、未知の他者と対話しようとしてもいいと述べます。いまの自分、過去の自分、未来の自分に向かって書くこともできるとされます。
 最終章は「詩を贈る」です。日本の和歌が亡き人へ歌を贈ることから始まった歴史にもふれながら、身近な人に大切な人に、後世の未知なる苦難を生きる人に贈ってみませんか、1つだけの詩でも詩集でも好きな詩の自選集(アンソロジー)でもいいからと勧めるのです。
 万葉集や古今和歌集の偉大さ、詩の朗読と聖典にある詩情、叙事詩と叙情詩、五行詩や四行詩、題名(タイトル)の付け方など、詩の理解を深める学びが豊富な本です。付録にある「これから詩を書こうとする人たちへブックリスト」も役立ちます。
 
 最後に紹介したいのは、親子で手にとってお読みいただきたい平明な作品です。
 『こども歳時記~母と子で読むにっぽんの四季』(文 橋出たより・画 安井康二、第三文明社 2014-2015年刊)という本です。冬・春・夏・秋の4分冊でシンプルな体裁も印象的です。
 どこを開いても右ページに可愛い詩があり、左ページに温もりあふれる童画と素敵なエッセイが配置されています。橋出たよりさんは「四季は冬から始まる」と述べます。冬に葉が枯れ木が裸になるのは、余計なものを落として身を軽くして幹にたっぷりと栄養を蓄えるためで、それは終わりでなくすでに始まり。新しい季節のスタートですね、と。第1集の冬編のもくじから例示します。・・・「大そうじ」「おちばたき」「もちつき」「ほしがき」「ねんがじょう」「ストーブ」「たけうま」「かまくら」「こたつ」「たこあげ」「雪がっせん」「かきぞめ」「かるたとり」「春いちばん」・・・この見出しだけで郷愁の思いがこみあげそうです。
 橋出たよりさんは、学園卒業生のお母様です。詩や童話などを数多く創作され、エッセイストとしても活躍されています。コミカルな話題も交えた味わい深い文章にも惹かれます。
 この本では、四季おりおりの美しい景色や生活を題材に、日本人が育んできた年中行事や伝統的な文物や遊びが取り上げられます。こども目線でその楽しさが表現され、家族の団らん風景が描かれます。的確な言葉とリズミカルなタッチに誘われて、幼い日々の光景も懐かしく思い出されます。庶民の温かい生活を愛おしむ気持ちがこみあげてきます。
 親子で囲んで頁をめくると話題がつきないはずです。昔話にも花をさかせてください。私にとって大切な宝物のシリーズです。疲れた心をリフレッシュしてくれます。ネット等でご確認ください。お知り合いの親子やご夫婦へのプレゼントにもお勧めしたい書籍です。
 
 今回は特にご紹介が長くなりお詫びします。心の潤いが失われやすい現代に「詩の復権」が求められていると思われます。ご紹介した詩人達の作品は読者の「心にこだまする言葉」を優しく届けてくれます。また詩は誰でも書けるし楽しめる世界です。コロナ禍のもとで短歌や俳句の大流行も注目されています。傷ついた心を慰めてくれ励ましの糧になるような詩に出会い、自分でも言葉を紡いでみる。世代を越えて皆様にお勧めしたいことです。