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澤柳をたどる旅は、湘南学園の未来を考える旅

2023年7月25日

梅雨明け間近の7月21日、小学校で終業式が行われ、中学校高等学校、幼稚園に続いて夏休みに入りました。全学夏休みに入った湘南学園、グランドでの部活の声、吹奏楽の練習の音、夏を迎える風の音が聞こえてきます。今年の夏も猛暑が予想されます。1879名の学園生、教職員、保護者、学園関係者の皆様、健康第一で健やかにお過ごしください。夏休み中には、8月26日に、新たにPTAフェスティバルも開催され、多くの方が来場されると思います。夏の終わりの一日を楽しく過ごしてもらえればと思います。

さて、前回お知らせしました川井陽一元学園長のことについて記させていただきます。と申しましても、私は川井元学園長(この後は川井氏とさせていただきます)とは面識はありません。一度お会いしたいと思いながら、帰らぬ人となってしまわれました。面識のない私が、なぜが川井氏について記しておこうと考えたのかと申しますと、学園長通信で取り上げらえていたことに興味を持ち、尊敬の念を抱いたからです。川井氏の丁寧に進められる分析や論考に自分の認識を新たにしながら読ませていただきました。90周年を迎えた湘南学園の未来を展望するためにも、川井氏のお考えの一端を辿ってみたいと思います。

学園長就任後川井氏は「湘南学園の明日を考える」ための論考の最初に澤柳政太郎を取り上げ、このように書かれています。

「私は、今後の湘南学園を考える上で、特に澤柳政太郎の生き方、その教育理念、教育実践、わが国の近代教育確立において果たした業績等は、大いに参考になると考えています。澤柳政太郎から何を学ぶか、それは、湘南学園が新たな高みを目指すために不可欠であると考え、最初のテーマとしました。」

「本学園の建学の精神は、『個性豊かにして身体健全 気品高く 社会の進歩に貢献できる明朗有為な実力のある人間の育成』です。この建学の精神には、澤柳政太郎と福沢諭吉が影響を与えていると言われていますし、私もそのように思っています。」

澤柳政太郎は、文部次官、さらに東北帝国大学総長、京都帝国大学総長等の要職を歴任し、それぞれの立場で後世に残る業績を残している人物です。

澤柳政太郎

1917(大正6)年には成城小学校が設立され、澤柳政太郎が校長として着任されました。さらに成城小学校の教育理念として、「個性尊重の教育」、「自然と親しむ教育」、「心情の教育」、「科学的研究を基とする教育」という4つの方針が掲げられたことが記されています。その精神が湘南学園にも引き継がれているというのです。さらに、湘南学園第四代園長大久保満彦先生の『学園の四季』と題する著書から以下の箇所を引用されました。

「昭和四年には、成城小学校で沢柳先生の片腕として活躍した小原國芳先生が、さらに一歩進めて新学校玉川学園を創設し、つづいて、小原先生を初代園長として昭和八年本学園の創立を見るにいたったのである。このようにみてくると、湘南学園小学校の創立と今日の存在は極めて意義深いものがあり、わが国における自由と独立の精神と、新教育の開拓精神がこの三十年の学園の歴史の中に生き生きと育っていたのである。しかしわれわれは、大正期にめざめた新教育の精神のままであってはならないので、さらに新しい世界、躍進する日本の中に、生き生きとした学園としての発展を期さねばならないのである。」

明治、大正の官僚化した富国強兵主義教育を改革した沢柳政太郎先生の成城教育の精神と、封建時代の学問教育を改革した福沢諭吉先生の独立自尊の教育。この近代日本の二大教育者の精神が湘南学園の基礎に流れているというわけです。先日、本学園の歩みに最も造詣の深い内藤喜嗣氏との話の中でも、「湘南学園の教育の基礎は沢柳政太郎と福沢諭吉だ!」と力強く語られていました。

川井氏の沢柳政太郎を取り上げた論考の最後に、「湘南学園には、澤柳政太郎の精神が底流に流れている。何より、そのことには感謝と誇りを覚えており、『澤柳をたどる旅は、湘南学園の未来を考える旅』でもあると考えている。」と締めくくられています。

初代学園長の小原國芳のことはよく知っていましたが、沢柳政太郎のことは、詳しくは知りませんでした。学園長通信を通して川井氏にご教示いただいた湘南学園の源を今一度しっかりと遡り、未来へとつないでいきたいと考えました。川井陽一先生、ありがとうございました。

元学園長 川井陽一からのたより
 

訃報 小学校前校長の岸田修成先生がご逝去されました。幼稚園、小学校にお勤めになり、多くの学園生を育てられました。退職前の2年間、小学校長を務められました。謹んでご冥福をお祈りいたします。