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第38回 平尾昌晃先生の音楽人生

2018年9月22日

©株式会社平尾昌晃音楽事務所

 今回は、9月1日の夜に放映されたある番組に関連したご紹介をします。『ザ・ドキュメンタリー(BS朝日)』の「平尾昌晃~昭和歌謡を駆けぬけた男」という2時間近い特集番組です。

 平尾昌晃先生は、わが湘南学園の小・中学校を卒業された方です。
 その後、日本の歌謡音楽界の指導者として多方面で活躍され、昨年夏に79歳でご永眠されました。NHKの紅白歌合戦のラストで、一昨年まで「蛍の光」の指揮者を10年以上担当された姿は、全国の人達の記憶に残っていることでしょう。
 番組は平尾先生の生涯について、人生の様々な試練をのりこえて歩まれた軌跡を丹念に追っていました。特に歌手から作曲家に転身した背景や、若手歌手の育成に託された思い、闘病の体験も糧にして周囲の人たちを大事にされた生き方が、視聴者にしっかりと伝わる内容でした。その番組をたどりながら、その音楽人生について僭越ながらご紹介したいと思います。
 

 番組は、昨年10月に行われた公のお別れの会から始まりました。各界の著名人が大勢集まり、日本を代表する歌手達が往年のヒット曲を涙ながらに歌って別れを惜しみました。
 平尾先生は小さい頃からジャズに親しみ、ウエスタンの人気バンドから出発してロカビリー歌手となって爆発的な人気を集めました。初めて自ら作曲した『ミヨちゃん』も、独特の親しみにあふれて大ヒットしました。
 その後グループサウンズの流行期に、平尾先生は病におそわれます。番組ではここで、湘南学園の恩師の櫻庭行先生が登場されました。私も若いころにお世話になった職場の先輩です。卒業後もよくお家を訪ねた平尾先生は、真剣な相談をして助言を受けていたのです。
 その後表舞台から去ってアルバイトをされた時期もありました。数年後に北海道から意外な知らせが入ります。持ち歌の『おもいで』がリバイバルで人気を集め、レコード会社に呼ばれるのです。

 そこで出会ったのが布施明さんです。まだ10代だったこの新人歌手のためにと作曲を依頼されました。自分が歌い続けたい気持ちと歌手にとって重過ぎる肺の病の不安。決心した平尾先生は布施さんに切ない思いを託されます。『霧の摩周湖』や『愛は不死鳥』の誕生エピソードも興味深かったです。
 その後作曲家として有名になった中、最大の試練が訪れます。重い肺結核から長期入院を余儀なくされ、長野県岡谷市の病院に入院されました。当時関わった看護師さん達の話から、壮絶な闘病生活の様子がうかがえました。大手術を経ても音譜を書きながら懸命に作曲に取り組む姿がありました。手術の成功から1年で退院できた日に皆さんが手を振って見送ってくれ、泣けて泣けて仕方なかったと述懐されます。
 その体験以後、更に大ヒット曲が次々と輩出されます。故郷をテーマにした作曲で出会った女性が小柳ルミ子さん。『わたしの城下町』に『瀬戸の花嫁』が世に出るドラマも素敵でした。崖っぷちにいた男性歌手もスターダムに押し上げられます。五木ひろしさんの『よこはま・たそがれ』や『夜空』にこめられた斬新な工夫も印象的でした。アグネス・チャンさんの『草原の輝き』や梓みちよさんの『二人でお酒を』などなど、ある世代以上なら誰もが良く知るビッグヒットが次々と送り出されました。

 アメリカンポップスの影響を受けつつ独自の日本的なメロディーの歌謡曲の数々。盟友の作曲家・なかにし礼氏は、平尾メロディーは現代日本の優れた文化の1つとして評論家諸氏の研究テーマに値すると述べておられました。
 さらに音楽学校を創立して松田聖子など多数のスターを育て、自らも女性とのデュオで大ヒットしたり、人気番組の司会や審査員などで幅広い活躍を続けられました。歌手を目指す若い人達の支援に熱心で、優秀な生徒を発掘してCDデビューさせたり、厳しくも温もりあふれる励ましを送り続けました。
 

 大ファンだったオートレース場で、選手はもちろん付設のお店の人達など誰とでも親しく付き合い愛されていた姿が語られます。入院時代には信州の人達とすぐに仲良しになりました。そうした背景には幼少時のお母様の生き方があったと指摘されます。天真爛漫なお人柄で、ファンがいつ遊びに来ても気さくに付き合う姿があり、平尾先生の性格は母親譲りとのことでした。人生は流れに逆らわずに受けとめて進めば、必ず道はひらけると楽観的な生き方でした。
 千葉県のある高校の校長から依頼を受けて、校歌を作曲したエピソードも紹介されます。多忙なのにすぐに引き受け、開校式典に参列して披露されました。

 平尾先生は、福祉活動にも多くの時間を注がれました。「愛のふれあい基金」を開始して、高齢者や障がい者の施設慰問、福祉コンサート開催などを国内や海外で続けられました。2002年に設立された「特定非営利法人 平尾昌晃ラブ&ハーモニー基金」は、今日も先生のご遺志を継いで被災地復興支援コンサートなど様々な福祉活動に取り組まれています。
 

 このように平尾先生が残された功績は絶大です。誰もが口ずさむ名曲を次々と世に送った不世出のメロディーメーカーであり、いつも出会った人たちと分け隔てなく親しく関わり、音楽を通じて人びとや社会に貢献することを常に大切にされた方です。次回は、平尾先生と湘南学園との関わりを中心に、そのことに関わって更に具体的にお伝えしたいと思います。