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第83回 東日本大震災~当時の湘南学園

2019年3月13日

 東日本大震災の勃発から、一昨日でちょうど8年間が経ちました。
 2011年3月11日。あの日の推移とその後の対応については、湘南学園も当事者としての経験があります。今回はその経験を振り返り、これからへ向けての自覚を新たにしたいと思います。
 

 大震災の当日は年度末の時期でしたが、中高では在校生が部活動などで300名近く登校していました。困難な状況のなか、保護者のお迎えを頂きましたが、最終的に100名以上の生徒が、我々教職員とともに校舎内で夜を過ごしました。小学校でも次々と保護者のお迎えを頂きましたが、真夜中までご家庭との連絡が続いて、ようやく全員帰宅することができました。
 テレビ情報などから刻々と甚大な災害の実相が伝わって、衝撃の連続でした。不自由な環境の中でも、中高では先輩達が後輩達を支えて皆で乗り切ろうと声をかけ合う姿がありました。また大津波警報の発令を受けて湘南学園へ避難されて、ともに夜を過ごされた地域住民の方々も大勢おられました。
 

 中高校長の初年度にあった自分にとって、最も感動したのはPTAの方々のご協力でした。当時の辻彰彦PTA会長を先頭に、周辺のお店に手分けして食料や必要物資を買い出しに出かけられ、早朝まで夜通しで炊き出しなどで奮闘して下さいました。おにぎりや味噌汁の用意、住民の方々への対応でご尽力頂いたのです。後日、近隣の皆様から多大な感謝のお言葉を頂きました。
 また多数の保護者の方々から、来園時の差し入れや援助のお申し出で様々なお力添えを頂きました。翌朝JRと小田急線の回復をめどにして藤沢駅までの集団下校を行い、生徒諸君を無事にご家庭へ帰宅させることができました。
 その後も事態は厳しく、「計画停電」の実施に伴う市民生活の大混乱や原電をめぐる情勢などから、通常の学校運営は難しくなりました。県内の私立学校間の情報交換を進め、学園生の安全確保を最優先して、年度末予定の大幅な変更を行い、HPやメール配信でご連絡をしました。

 東日本大震災は途方もなく深刻で巨大な被害をもたらしました。連日、被災地域の事実に目を向け、現地で援助や復興へ向けて懸命の活動をされる人びとの姿から学び続ける日々でした。当たり前と思っていた私達の生活がいかに貴重で有り難いものかを考え直し、自分のいのちと安全を支えてくれる周囲の存在を受けとめ直し、感謝の念を新たにする機会となりました。
 

 新年度に入り、湘南学園は全学で東日本大震災の被災者を支援するために義援金を集めることを決め、「チーム湘南学園」で取り組みました。
 学園全体では防災体制が強化され、備蓄の補充、放射能測定や津波想定の避難訓練を行いました。各学校や全学一斉の避難訓練が強化され、近隣との連携も強められました。周辺の自治会の方々との「防災・防犯」をめぐる協力体制や対話の機会が前進していきました。
 夏期や年間を通した節電対策も強められ、数値結果が検証されました。当時の切実な問題意識に比べて、風化も指摘できる現状が反省されるところです。
 

 大震災から8周年関連の報道に注目します。特集の記事や番組などから現状に目を向けることは、どの世代にも大切な国民的な責務ともいえでしょう。
 地震・津波・原発事故の複合した被災地で、想像を絶する諸困難と向き合った人たち。家族や家庭や故郷を失った人たちの現在の生活とお気持ち。その希望や絶望を少しでも知ることから始まります。
 指定が解除されても故郷に帰郷できない人たちや、故郷に戻って繋がりと賑わいの回復を期して取り組む人たちの苦しみや願いに耳を傾け、様々な分野で続けられる復興と支援の懸命の努力を知ることが必要です。
 この数年間、そうした問題意識を深めて現地を視察し、学園関係者に「当事者意識」の共有を訴えてきた学園中高生の諸君からも学んできたところです。
 

 平穏な私たちの生活は当たり前でなく、人びとの生活と仕事が網の目のように繋がって成立しているのであり、同じ社会と時代に生きる仲間として連帯と協力を広げていかなければなりません。この先も確実に年月は過ぎていきますが、大震災の経験を風化させずに心にとめて生活していかねばならないと思います。