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第165回 大震災翌年の被災地で

2020年3月14日

 東日本大震災から9年が経ち、今週は新聞やテレビの関連報道に多く接しました。東京五輪の聖火リレーがギリシャから空輸され、宮城県東松島市で到着式が行われた後、日本国内では福島県から聖火リレーが始まるとのニュースも注目でした。「東松島市」という地名からある思い出がよみがえり、今日は大震災の翌年8月に、宮城県の地域で宿泊した体験からご紹介したいと思います。
 
 東北新幹線で仙台へ、そこから在来線の「仙石線」に乗りましたが、途中で鉄道は中断して「代行バス」で乗り継ぎました。米どころの宮城県でバスから見渡す限りの水田の緑がとても鮮やかでした。
 やがて、点在する民家が内部を破壊され、無人のままの姿をいくつも目にしました。「野蒜駅」に着くと駅は閉鎖され、ホームや駅前の商店や橋には大変な傷跡がありました。津波による壊滅した民家などの様子が点在し、電柱や川の護岸コンクリートや周囲の松林にも無惨な姿が残っていました。

 私達二人の泊まる民宿のご主人が、駅までクルマで迎えに来て下さいました。風光明媚な「奥松島」には、震災前に民宿が約30軒もありましたが、大津波の襲来で複数の砂浜は破壊され、多数の民家が直撃されました。営業を再開できた民宿はまだ数軒で、仮設住宅も建てられました。クルマから大きな瓦礫の山やがらんどうとなった学校なども見えて、島を結ぶ道路の橋まで寸断された時期もあったそうです。ボランティア活動で作業中のグループにも会いました。数多くの島々が連なる絶景と盛んな牡蛎の養殖で有名な地域と知りました。

 夕食には漁師もされるご主人による新鮮な魚介類が、申し訳ほど贅沢に並びました。しかし漁の厳しい制限が続いて以前の御馳走には届かない、以前のメニューをお出ししたいのに、と奥様が涙ぐまれました。余震の影響もあって建物や地盤に打撃があり、今後の営業意欲が萎える思いも抱えられたそうです。
 でも住宅や道路や港など震災復興の様々な工事が増加し、多数の関係者の宿泊施設が不足して、早い時期から宿泊要請を受けたと伺いました。馴染み客の多数のファンから再開への声援をいっぱい受け、内装リニューアルを急いで営業を再開された経緯をお聞きしました。
 
 「仙石線」は2015年に全線が復旧し、私達が出会った野蒜駅は高台に移転して再出発しました。テレビで復興が進んだ画面を観て感動しました。
 そして本日3月14日は、実に9年ぶりに「常磐線」が全線再開する日です。本当に嬉しいニュースです。JR常磐線は、原発事故被害の最も深刻な福島県浜通りの地域も貫いて、東京都から宮城県まで340km以上もの走行距離を持ちます。 

 福島第一原発から10キロ圏内にある富岡~浪江の駅間でも、ついに列車運転が再開されるのです。地元住民の皆様にとってどんなに嬉しいニュースであることか。被災地に関わる新たな困難が広がる実状にしっかり目を向け、一方では希望の報道をテレビ番組や新聞記事で注目していきたいと思います。いずれ改めてどこかを訪問してみたいとの思いを強めます。