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第207回 7年ごとの記録~それぞれの人生

2021年3月3日

 7年ぶりに懐かしい10名の人たちとテレビ番組で再会しました。同時代の日本社会に生きるさまざまな人生の歩みに接する機会です。多様だけどそれぞれ奥深さが感じられ、次の7年後にも必ず再会することを決心し、皆さんのご多幸を願いました。前編&後編の分割放送ですが再放送を期待し、録画や視聴(有料放送あり)をお薦めし、紹介したいと思います。

 「7年ごとの記録~35歳になりました」というNHK教育テレビ(Eテレ)の番組です。日本全国、様々な境遇の下で暮らす10名の人たちが登場しました。1992年の7歳の時から取材が始まり、14歳、21歳、28歳の時にもそれぞれ密着取材を受けてきました。それぞれの人生がその後どんな軌跡をたどり変化があったのかを追跡されてきたのです。
 私もこのシリーズをずっと観てきました。わずかな時間で編集された範囲とはいえ久しぶりの再会であり、わくわく興味津々で妻と放映を待ちました。
 
 まず優美さんです。7歳の取材開始時には愛知県豊田市に暮らしていました。大手自動車会社に勤めて長期出張中の父親を尊敬し、語彙が豊かで聡明な少女は、14歳の時は高校受験で勉強に集中し、将来の夢は出版社へと変わっていました。関西の私立大学へ進学し、21歳の時は就活中でしたが、希望した出版社は全て採用されず、専攻を生かして地元企業の社員食堂で管理栄養士として働き始めます。その後週末には東京へ出かけて転職活動も続け、24歳でついに大手出版社への転職を実現します。28歳では食と栄養の分野の雑誌編集に勤しむ姿がありました。そして35歳の今回、優美さんは二人の女の子の母親となって育児休職中でした。重版となって反響を呼んだ新刊も複数あったそうですが販売実績は伸び悩み、31歳で慣れない営業の担当になり、家庭も早く持ちたい願いが強まって32歳で結婚したのです。家庭内の取材も承諾され、育児や料理にも協力する旦那さんの姿もしっかり撮られ、妻としての感謝の気持ちが語られていました。現場復帰が近づく中で通勤再開と家事との両立に不安も語りながら、好きで選んだ仕事だから無理のない範囲で良書を出版していきたいとの願いを述べていました。
 
 次に健太君です。宮城県の米どころの大きな専業農家の長男でした。7歳当時はいちばん大切なのは「食糧」と明るく答え、将来はお嫁さんと美味しいお米をいっぱい作る!と話してくれた彼は、14歳の時は「跡継ぎ」のプレッシャーに直面して表情が重く、一家総出の田植えはもうこの頃まででした。全国的なコメ離れや減反政策の中で地元の稲作はその後先細りが止まらず、21歳の健太君は「こんなに頑張っているのに報われない」周りの農家の人達に同情しながら、高校卒業後は地元企業に就職し、住宅建材の工場で派遣社員として働いていました。減少した農家の共同作業で手伝う機会もありましたが、27歳には正社員に昇格し、33歳で結婚して実家の近くで暮らしていました。35歳になった健太君は、前年秋の稲刈りで父から呼び出され、慣れないコンバインの運転を指示され、いきなり本番かよとボヤキながら働いていました。この地域で後継者候補は何と健太君ただ独りになっていました。いずれ継ぐべき時が来れば従うしかないわと理解を示してくれる優しい妻の言葉に複雑な思いも持ちながら、若い仲間が周りにいない不安と向き合い、最低限の範囲でもいずれ農家の仕事を引き受けざるを得ないかなと、諦めや許容の気持ちを自分自身に言い聞かせる語りぶりが印象的でした。
 
 もうひとり、孝枝さんを紹介します。瀬戸内海が生活圏です。愛媛県の離島で定期船を営む家の明るい子どもでした。7歳の時は祖母を継いで四代目の船長になりたいと話し、島の過疎化や高齢者の今後を子ども心に案じていました。14歳の時は本土の学校に船で通い、部活も行事練習も友達と遊ぶ時間もとれない不自由な生活と孤独の中で、もう島の生活はこりごりだから早く島から出たいと話す表情には切ない陰りがありました。高校を卒業後、孝枝さんは四国本島でひとり暮らしを始め、松山市の専門学校を卒業して高齢者施設で介護福祉士の仕事に就いて、そこで出会った優しい男性と22歳で結婚しました。28歳の時には新居浜市で2人の子どもに恵まれ仕事と家事で頑張る姿が紹介されました。島の住民が次第に年老いて独りで不自由に暮らす姿を見てきて、もう島に戻ることはない気持ちは変わらずともお年寄りのお世話をしたいとの幼心は大事に育まれ、33歳でケアマネージャーの資格をとって介護が必要な人の在宅支援プランを立てるようになりました。支援のあり方が的確なら、その人の生活の大きな支えになるからと語る孝枝さんの話は慈愛にあふれていました。自分が学校時代に出来なかった悔しさから中学生の長女と小学生の長男の部活や習い事を精いっぱい応援し、毎年お盆には家族そろって定期船で故郷の島に帰省していました。最盛期には漁業で約500名もいた島の住民は現在わずか13名。実家の両親に安心を届け、娘と息子にも島の暮らしと魅力を伝えたいと語っていました。
 
 登場した全員の皆さんの人生の歩みについて紹介したい気持ちですがここまでとします。
 結婚された人達もいれば、独身のままの人達もいました。自分の人生にずっと同伴され取材を受けてきたプレッシャーはどうなのかなと気になりますが、取材協力の中で自分の人生の歩みを振り返ることができ、より良く生きようとの決意を後押しすることになるのかなとも思われました。一方で番組に登場しなくなった人達も3名います。対象者と取材スタッフの信頼関係の中で奇跡的に続いてきたドキュメンタリーなのです。

 取材が開始されたのは、バブル経済の繁栄が謳歌された時代が終わり、日本の経済や社会が長期的な不況に入った頃でした。その後も東日本大震災やコロナ危機など大きな苦難に直面しながら、この番組に出た青年達も進学や就職の課題に向き合い、転職など進路の変更も経ながらそれぞれの人生を築いてきたのです。家業の継続問題などそれぞれに固有の“宿命”とも向き合う姿がありました。

 概して14歳や21歳には、思春期や青年期に特有の屈折した表情が目立ち、生い立ちや親子関係への複雑な思いがかなり共通しているのが印象的でした。しかし28歳や35歳になると、改めてこれまでの足跡を総合して幼い頃の願いも実は維持しつつ懸命に進路を探り、お世話になった親と家族への感謝も深めながら、新たな家族も大事にして幸せを求めて歩んでいる姿に深い感銘を覚えました。インタビューで語られる言葉は飾らず自然体で静かな説得力があり、明るい表情に自信や誇りも感じられそれぞれ魅力がありました。こうやって人間は成長していくのだな、という安心や敬意の気持ちを抱きました。
 
 今回の番組のラストは、次の言葉で締めくくられていました。・・・・・・場所や環境は違っても同じ時代に生きる35歳。次に会うのはまた7年後。42歳になった時です。

 担当者が次々と数十年間もバトンを繋いでいくこの稀有なシリーズは、実は1964年にイギリスで開始されました。旧ソ連や日本など同様の番組企画が世界に広がりました。

 その本家の英国版は、明日4日(木)午後10時から、NHK・Eテレで放映されます。
何と「7年ごとの記録 イギリス 63歳になりました(1)」という番組名です。
 ご注目いただければありがたいです。