学級通信

2022年2月4日

 若い先生たちの勉強会が行われています。「のびる芽」ならぬ「のばす芽」の会と呼ばれています。若手を大切にしていこう、という気持ちが伝わる素敵なネーミングです。毎回講師を迎えて意見交流しています。
 先日は、5年前から週に一度、若い先生のアドバイザーとして来校いただいている松下義一先生をお迎えしての会でした。僕もぜひ出席したかったのですが、若くはないので遠慮しました。(笑)その時のテーマは『学級通信を通して伝えたいこと』です。松下先生は小学校で勤められた36年間、クラス担任として学級通信『ひこばえ』を出し続けていらっしゃいました。その実績は新聞などでも取り上げられています。「子どもの個性や良さ、新たな一面など、クラスで共有できるといいと思っている。日記というのは、家での生活を書いてきている。兄弟や家族で出かけたことなど、子どもは思い出をいっぱいランドセルに詰めて学校へ来ている。それらを担任だけで知っているのはもったいない。だから、子どもの生活の場面を通信に載せてあげたいという思いがある。書いた子ども自身や保護者もその生活の大切さや意味に気付いてほしい。載せる文章を選ぶ先生の願いも含まれている。」と、書くときに心がけていることを語ってくださいました。
 松下先生の学級通信は、毎日ほぼ手書きで出していたというから驚きです。松下先生は児童の実名を出し発行を続けていました。それは、「これだけは手放せない、教師であり続けるための矜恃。」と話されています。そのあたりのことは、全くもって共感します。僕の学級通信も、子どもの日記があるからこそ成り立っていました。週に一枚か二枚、PCで打ったものでした。ですから、僕が発行した学級通信の数なんかは、松下先生には遠く及びません。誰か一人に届けばよいと思いながら綴っていました。

 10年前に受け持った4年生の中に野球好きなRくんがいました。彼のお母さんの悩みは、「片付けができずにだらしがない。」でした。確かに机の中は色々なものが押し込められていました。5、6年後、そんな彼の一家が外国へ転居することになったのです。Rくんは最後まで外国行きを拒んでいました。何とか説得し出国することになったある日、Rくんのお母さんから直接手紙を受け取りました。便箋には感謝の言葉とともにRくんのことが書かれていました。彼が「これはアメリカに持っていく。」と言って出したのが、僕が担任として発行した2年間の学級通信でだったというのです。お母さんは、「あのだらしがない子が、たくさんの学級通信を無くさずに持っていたのは、当時の日々がそれだけ楽しく、外国へ行っても忘れたくないと思ったからでしょう。」としたためていました。以来、僕にとってこの手紙は学級通信を出し続ける励みになりました。
 学級通信は僕と教え子たちが、その時代をともに生きた証です。