「朝顔」のつるはどこへ伸びていく?

2014年7月11日

 梅雨明け間近を思わせる高温、多湿の日々、そしてその晴れ間をぬって差し込む強い日差しの気候となりました。あと1週間程しますと、子どもたちが待ちにまった「夏休み」に入ります。
 いま、「学びの森(ビオトープ)」の一角には、鉢に植えられた数々の「朝顔」が生き生きと自由につるを伸ばし、子どもたちからの水遣りを待っています。
 江戸琳派の異才・鈴木其一の「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)は、鮮烈な青を顔料に生かした名作ですし、志賀直哉の『朝顔』の口絵に描いた小林古径の作品も趣のある絵にまとまっています。私自身も「朝顔」というイメージからは、小学生の頃の夏休みの思い出が1つ浮かんできます。それは終業式後、上履きと共に素焼きの朝顔の鉢を持ち帰り、毎朝水遣りをしながらその成長過程を観察日記に書くことでした。朝顔の花が朝露に濡れて大きな花を咲かせる早朝の様子や、その花が夕方には萎み落ちた翌朝に、新しい花が大きく開き生命の喜びを見せてくれるなど、朝顔は、子どもたち一人ひとりにとって、印象の強い、そして思い出に残るなじみ深い花の一つであります。
 そして何よりも朝顔のつるの動きに不思議さを感じた人は多いかと思います。朝顔のつるの動きを観察しますと、つるの1本が絡む対象を見つけると、残りの側芽もそこに向かって絡みつきに行きます。しかし、先導のつるがそれに失敗すると、残りの側芽も同時にあきらめるように動きを鈍らせ方向を変えていきます。この「手探り」「試行錯誤」ともいえる、朝顔のつるの動きは、朝顔の生理学にとどまらず、湘南学園小学校の子どもたちの自由で柔軟な発想と果敢な行動力のようにも思われるのです。つまり上手くいかない時、つまずいた時、人はやはり原点に立ち返り、改めて想を練っていく、生き方を復元することになります。しなやかで復元力を秘めたエネルギーの発露こそ、子どもたちの魅力なのでしょう。
 いま夏の風物詩として東京下谷の朝顔市をはじめあちらこちらで朝顔市が開かれています。その昔のカキ氷の器には、朝顔形と呼ばれたものがありましたし、昭和レトロの古い電灯の傘(朝顔形ほや)につけられた白色灯が一家団欒の部屋を暖色の温かみをもって照らす様子、さらには小皿やカップなど陶磁器にも同様に朝顔形があるように、あらゆる分野で朝顔は日本人に愛されている意匠といえます。
 高度経済成長期前までは、江戸の名残りの「物売りの声」が下町にはかろうじて生きていました。盛夏の早朝、「ええ朝顔やあさがお」という朝顔売りや、おなじみ金魚売の「きんぎょ~え~きんぎょ」の声が町の辻辻に響き渡るのを、私も幼少期に聞いた覚えがありますが、朝顔の鉢1つの商いにある人と人との相対したやり取りは、心休まる場面だったことを記憶しています。