阪神・淡路大震災から25年~語り継ぐ~

2020年1月18日

阪神・淡路大震災から25年。6434人の命を奪い、約25万棟の住宅が全半壊しました。瞼に「きざむ1・17」。風化させてはいけない、子どもたちに伝えなければと、昨日17日は、ピロティの中央に新聞4種類を掲示して、子どもたちの目に止まるように呼びかけました。
「先生あのね、ニュースで25年と言っていたよ」
「お父さん・お母さんと黙祷したよ」など、半数の子は情報をキャッチしていたように思います。

●毎日小学生新聞「復興の心歌い継ぐ」
●朝日小学生新聞「1995年のきょうぼくは神戸で生まれた」
●朝日新聞「武史、ママは今笑顔でいるよ」
●神奈川新聞「風化6割継承課題 阪神大震災きょう25年 立ち直りに時間」
各新聞記事を読んで、眺めて、写真を見て、何かを感じとり、無言で通り過ぎていく子どもたちでした。

25年前のあの日、育休中で家にいた私は、生まれて5ヶ月の娘を抱きながら、テレビの前に釘付けで、火の手があちこちから上がるシーンに驚き、身体が硬直した記憶があります。
その数日後に「兵庫県に住む従兄弟がこの時の火災で亡くなった」と聞きました。飛行機で熊本に住む叔母を励ましに駆け付けると、「母より先に亡くなるなんて」「突然だった」「生きたかっただろうに」「まだまだやりたいことがあったはず」「朝5時46分に、火を使っていた…」「油を使って、揚げ物をしていた…」と涙をためて言葉を詰まらせました。それ以上は、聞けませんでした。

それから、灘にある「人と防災未来センター」を訪ね、語り部さんより話を聞いたり、本を購入しメディアセンターに置きました。2回目は家族で、3回目は研修会で訪ねました。「阪神・淡路大震災の教訓も語り継がねば」と思っています。

また、今日(18日)は雪が降り寒い日でした。「寒かった」「雨で濡れた」「傘が壊れた」と言いながら、逞しく登校してきた子どもたちです。「おはようございます」と元気に挨拶する子どもたちの声が、今日はよく響きました。
1時間目は「方面別集会」。同じ方面の子どもが教室に集まり、いざという時にどのように行動するか、登下校中の危険箇所の確認など出し合いました。