「松ぼっくり」
湘南学園小学校が毎年発行している全校文集「松ぼっくり」の締め切りがせまり、みんな大忙しで原稿用紙に向かっています。全校文集というのは昔は全国各地で取り組まれていましたが、私の知る限りでは今は数えるほどしかなく、昭和24年の創刊号から並べてみると時々の世相と子ども達の様子が伺える大変貴重な資料になっています。これまでも私は時々にその内容に触れた文章を書いてきましたが、そろそろ戦後史の中の「松ぼっくり」というような、まとめが必要だと思います。
今週は昭和35年発行の27号と昭和43年発行の50号の2冊を読みました。巻頭の文章は副園長だった宗政喜先生の「敬遠される子どもの座席」という文章です。教員ならば誰でも子どもから、時には保護者からも、ある子どもの座席をめぐってのトラブルに頭を痛めた経験のない人はいないでしょう。当時も今も続く生々しい問題です。私が感心したのは宗先生が一つの「物語」としてそれを書かれている点です。私の見る限り宗先生は「児童文学の創作」を志していたのではないかと思います。力量が伝わってきます。同時に教育の問題は、「物語」として差し出された方が、お互いにリアルに考えあうためには適切であることが往々にしてあります。「物語」の持つリアリティと共感性がかぎなのです。近代教育学はルソーでも、ペスタロッチにせよ、「物語」として語るところから出発しています。宗先生の文章には、その意味で学ぶことが多いと強く感じました。先生方には特に一読を勧めます。50号で驚いたのは石原裕次郎と並んで大変人気のあった俳優赤木圭一郎さんが本校の卒業生だったということです。日活の大スターで人気の絶頂期にゴーカート事故で亡くなった氏ですが、石原裕次郎が人気だけでなく私の大好きな「幕末太陽伝」などの戦後映画史に足跡を残していることを思うと、これからという時期に不慮の死を迎えたことは戦後映画史の中でのまさに悲劇だったと思います。