雨ニモマケズ
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、東日本大震災の翌月にワシントンのナショナル大聖堂において、震災の犠牲者を悼むための追悼式が開かれ、大聖堂長により英語で朗読されています。
賢治はこの作品で「真に強く優しく、人として理想的なあり方はどんなものか?」を問い掛けています。
しかしながら、東日本大震災のときは風評被害によって多くの罪無き人たちが苦しみました。
今、日本中でコロナと戦っている人がいます。
コロナに感染してしまった人も、感染するかも知れないと不安に思っている人も、感染させまいと頑張っている人も、みんな戦っています。
しかし、コロナ感染が拡大している今、多くの人が戦っているにも関わらず、悪しき風評が流れています。その悪しき風評の出所が個人であるなら、その人は残念ながらコロナに負けたのだと僕は思います。
「流言は智者に止まる」
中国の思想家である荀子はが遺したとされる言葉です。
「流言は智者に止まる」の「流言」は「流れる言葉」のことで、これは根拠のない噂やデマのことを表しています。
一方「智者」は「知恵ある者」のことです。
「流言は智者に止まる」とは、「判断力のない愚かな者は、根も葉もない噂を広げてしまうが、賢い人はそれを検証し、自分の胸のうちにとどめておく。」ということです。
サウイフ人デアリタイ