本校の自慢 ~子どもの心に響く踊り民舞~

2018年9月11日

~「子どもの心に響く踊り」民舞を通して日本を知り、語れる子に~

 秋のさわやかな陽気の中で、今年も全校児童が日本の踊り「民舞」を10月6日(土)に大グラウンドを大舞台として踊ります。
 日本の各地に伝わる踊りを、先輩から後輩へと継承し、家族や地域へと披露する踊りは、今や本校の魅力であり、自慢となっています。
 その場限りの踊りでは、子どもの心に響かないことを知った20代。「子どもの心に響く踊り」を求めるようになった30代。夏休みや冬休みに日本中を旅する生活が始まり、気づくと大きな車まで購入していました。
 特に東北地方は「踊りの宝庫」ですから、踊りに困ったときには仙台・岩手・青森に向かって車で走っていました。浴衣が好きなので、紺・白・ピンクの3枚の浴衣と子ども用甚平(じんべい)も持参し、現地の「夏祭り」に加わり、「盆踊り」の輪の中に入り、まずは私自身が楽しんでいました。次から次へと「夏祭り」をはしごして資料を集める中で、本校の子どもたちにふさわしい踊りを求め、10年かかって日本中をまわったのです。最後は「沖縄県」と決めていたので、飛行機で行き「エイサー」を踊る旅で終止符を打ちました。

 大好きな北海道には、仙台から苫小牧行きの船に車を乗せて行きました。石狩川の上流から下流までを3日間かけて下りながら、サケについて研究していたら、サケのふ化場にはまっていました。
 「南中ソーラン節」を踊るにあたり、発祥の地である稚内南中学にも行き、納得するまで稚内を歩きました。現地で生活をすることで民衆の願いを知り、歴史的背景を学んだものです。朝、4時には漁船に乗って海にいくお父さん。コンブとりに出かけるおばあちゃん。コンブを身にまとってお家まで帰るおばあちゃんの姿も目に焼き付いています。太くて長いコンブが海辺に並んで、干してありました。
 授業では、見てきたことや聞いてきたことをできるだけ生々しく話し、本当のことを伝えました。「本物」に近づけるために。
 当時、樋口校長先生が北海道出身でしたから、「おーい、船が出るぞ!」と語り部をお願いして、子どもたちに昔のニシン漁体験を語ってもらうこともありました。学年の先生方に頼んで、ニシン漁の寸劇をしたり、漁民になりきって漁船や大漁旗を作ったり、その年その年でドラマがあるものです。

 今年もいよいよ始まります。今週は6年生の有志が朝練を始めました。「おーい、船がでるぞ!」