よろづ修学旅行

2020年11月3日

 6年生が奈良・京都への修学旅行から今日帰ってきます。

 学園の記念誌を紐解くと、創立から3年目の昭和11年から修学旅行が実施されています。しかも、伊勢、奈良、京都へ3泊4日の行程で行っているのです。今が奈良、京都の3泊4日であることと、まだ新幹線が開通していないことを考えると、かなりの強行軍だったことが伺え、驚くばかりです。昭和14年には4泊5日になっています。
 その年発行の『さくらがひ』には、奈良の若草山に登ったことが次のように綴られています。(一部抜粋)

 「若草山」奈良の市街を見下ろすと、うつすらと霧がかゝつてゐて、昔の錦繪を見てゐるやうだ。右手の方に、今行って来たばかりの東大寺の大佛殿の屋根がづぬけて大きく見える。正面の生駒山頂でもって、”ピカッ、ピカッ”と黄赤青と光ってゐるのは航空灯台である。
 中天に月が輝き出した。天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かもの歌で有名な三笠山は市街に向かって左側に若草山より高く聳えてゐる。しばらくして、女生徒と宗先生が上がって来られた。

 戦時中の修学旅行は中止になっており、昭和23年に山中湖方面へ戦後第1回目の修学旅行として実施されています。翌年には日光方面になり、昭和35年まで続いたようです。その後は再び関西方面で実施され、現在に至ります。
 昭和33年の『松ぼっくり』には日光に行ったことが、昭和40年の『松ぼっくり』には京都に行ったことが次のように綴られています。(一部抜粋)

 「修学旅行 日光」 三日目は、私たちは、けごんのたきを見学した。私たちのいるところまでも、水しぶきがとんできた。たきは、まっしろく、うずまいている。よくみると、水がおちたかと思うと、又おちてくる、まるで、長っぽそく円をかいて、おどっているようだ。太陽がとても光り、たきを光らせる。

 「嵐山から西芳寺へ」 苔寺はやはり私の心のかたすみに残っている。あの小さな何種類もの美しい苔を、岩と苔だけで作った枯山水を・・・。一生わすれないでいるだろう。

 行き先は変われど、修学旅行は今も昔も6年生にとって大切な学びであることに変わりありません。なぜなら、本物を通してでしか得ることができないものばかりだからです。だから、各年代の作文は、今読んでも瑞瑞しさがあるのだと思うのです。

 さて今年度の6年生は、何を見て、何を感じ、何を得たのでしょうか。土産話を聞くのが楽しみです。
 ※写真は、上から昭和38年、昭和55年 、平成29年