良い作文とは

2021年1月22日

 校長になって書きものをすることが多くなりました。
 先日も1本書き終わったと思ったら、「これもだった!」というものがありました。
 筆が遅いので、そのようなときは頭を抱えてしまいます。
 書いたところで支離滅裂な状態になってしまいますし・・・
 そんなときは、寝る前に好みの作家の散文を読みます。
 すると、頭の中がすっきりして、翌日パソコンへ向き合うと自分なりですが文が整います。

 この時期は『松ぼつくり』に掲載する子どもたちの作文の原稿が上がってきます。
 作文指導をするとよく思うことがあります。
 「良い作文とは?」「面白い作文とは?」
 一方、「悪い作文とは?」「つまらない作文とは?」
 例えば、文体が整っていなくても読み手に伝われば、それは良い作文なのでしょうか?そもそも、良い作文とは何か?「良い作文論」になると、いつも着地点がみつからないまま議論が終わってしまいます。

 文体の話をすると、個人的には読み手に伝われば、どのような形で書かれていても気になりません。好き嫌いはあると思いますが、執筆を生業としている人の文章も、文体については様々だからです。それが作家の個性になっているのだと思います。
 さらに、良い文とは・・・それについては、読んだ人の心が動かされた言葉がある文、に尽きると思います。そのような文が多いほど、良い作文だと僕は思います。

 最後に夏目漱石の力を借ります。漱石は『自然を寫(写)す文字』で、次のように書いています。「自然にしろ、事物にしろ、之を描寫するに、その聯想(連想)にまかせ得るだけの中心點(点)を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。」書きたいものの中心を書けば面白くなる、ということでしょう。
 さてさて、第101号の『松ぼつくり』に如何なる作文が載るか楽しみです。