3.11被災地を想ふ

2021年3月12日

 私は夏休みに、津波で被災した所を訪れました。その光景はテレビで見て想像していた惨状をはるかに超えました。一言で言うと「何もない」です。見ているだけで怖かったです。まだまだ大変ですが、被災した方々が一日でも早く前と同じ、いえ、前よりもっと良い暮らしができるようになることを、私は願っています。

 東日本大震災の翌年の『松ぼっくり』に載っていた児童の作文です。(一部抜粋)御祖父母は仙台市に住まわれているとのことです。
 「前よりもっと良い暮らし」の言葉に願いの強さと重みを感じます。

 20代の後半にバイクで東北を旅しました。リアス式海岸線を走ったときは、道がのこぎりの歯のように続いており、行けども行けどもなかなか目的地に着かなかった思いがあります。
 釜石の煙突、三春の枝垂れ桜、養蚕農家のおばあちゃん、誰もいない小さな入江のキャンプ場、思い出は断片的になっていますが、今でも漁村の魚の匂いと畑のトマトの匂いは鮮明に残っています。
 そして二年前の夏、全面復旧した三陸鉄道リアス線(以下、三鉄)に乗って旅しました。約30振りのリアス式海岸に感激し、途中下車をしては海の幸を食したり、地元の人との会話を楽しみました。一方で、変わり果てた車窓からの景色に言葉を失うこと数多く・・・
 三鉄の旅をしていて一番印象的だったのは、僕の息子ほどの若い運転手ことです。運転をしながら子どもたちと会話をしたり、トンネルが近づくと子どもたちのために警笛を鳴らしていました。爽やかに運転席に座るその若者は、震災後に三鉄の運転手になったに違いありません。
 余所者の僕から見ても、被災地が「何もない」ところから復興したと言い切るには、まだまだたくさんの時間が必要だと感じました。ただ、若い運転手の笑顔と優しさに、被災地の明るい未来を見た気がしました。