全校文集「松ぼっくり」の紹介

2023年7月14日

湘南学園小学校では、「松ぼっくり」という全校児童の作文を掲載する文集を毎年作っています。松ぼっくりの百号には、その歴史を紹介した文がありますので、紹介します。

「松ぼっくり」の歴史

 今号で「松ぼっくり」は、記念すべき百号となります。湘南学園で学んだ子どもたちの文集が、長い時間をかけて百号の歴史を積み重ねてきたのです。すごいことだと思います。
 さて、みなさんは不思議に思ったことはありませんか。湘南学園は、1933年に生まれました。1年ごとに作られる「松ぼっくり」が百号を迎えるのなら、湘南学園は1933年より前にあったことになってしまう、というように。実は、「松ぼっくり」は昔、1年に3回発行されていました。身近な「松ぼっくり」ですが、その歴史については、あまり知られていません。今回、百号を記念して、その歴史を紹介します。
 「松ぼっくり」の第一号は、メディアセンターや校長室に大切に保管されています。発行は、昭和24年8月20日です。1949年生まれですから、2020年に71才になる人と同い年ということになります。現在、湘南学園にいる先生方に70才を越える方はいません。当然、学んでいるみなさんの中にも70才を越える方はいないでしょう。ですから、なぜ「松ぼっくり」という名前にしたのか、どうして「松ぼっくり」を作ったのか、など作った人たちが話し合っているところを見た人はいません。しかし、書物の良いところは、言葉を長い時間保存できるということです。70年前の言葉を、読むことができるのです。第一号には、このように書かれています。

「創刊の辞 まつぼつくりのたんじょう
園長 宮下正美
 かわいい、みずみずしい『松ぼつくり』が、いよいよ、わたくしたちの学園にも生まれるときがきました。学園をとりまく、ひろい松の林のひと枝ひと枝にもつている松ぼつくりのように、わたくしたちも、それぞれに松ぼつくりをもつことができるときがきました。」

 なぜ「松ぼっくり」という名前になったのかというと、湘南学園のまわりに松がたくさん生えていて、子どもたち一人ひとりを松に、作品の一つ一つを松ぼっくりに結びつけて考えたからです。比喩(ひゆ)の考え方ですね。当時、湘南学園の周辺は松林が広がっていました。今では、住宅街の松が岡ですが、名前の通りたくさんの松が生え、いくつもの岡が重なっていたのです。
 ちなみに、「松ぼっくり」の「つ」が大書きと言って、小さい「っ」でないことに気づいた人も多いでしょう。これは、昭和の中頃までつまる音の「っ」を大きい「つ」と書いて良かったからです。昔は、「ゃ」「ゅ」「ょ」も大書きが普通でした。言葉が変わっていることも「松ぼっくり」を読むとわかりますね。
 創刊の辞は、次のように続きます。

「かわいい「松ぼつくり」の中にかくされている力をうまくそだててやりましよう。みなさんのもつている力は、何かの形に表すことによつて、もつと強くなります。表そうとする努力と、表されたものを、おたがいにくらべあうことによつて、みがかれて行くからです。ただ考えていたり、言つてみるだけではたりないのです。はたらきによつて、形に表してみることは、わたくしたち子どものしなければならぬたいせつなべんきようなのです。」

 宮下先生は、書くことで感じたり考えたりする力が強くなると言っています。また、読み合うことを通じて、みがかれていくとも言っています。体験したことや考えたこと感じたことを作文に表すことが、大事なことと考えているのです。そして、作文を書くことは子どもたちが、しなくてはならない大切な勉強とも言っています。
 五十号までは、1年で3冊の「松ぼっくり」をつくっていました。また、小学校のみんなの作品を一度にのせるという今の形ではありませんでした。全員の作品が順番にのるように、先生たちで選びながら作っていたのです。
 ちなみに、今はほとんどの子が、作文を書いています。しかし、昔は、詩、俳句、川柳、短歌、日記、読書感想文、創作物語、脚本、合唱曲の詩、修学旅行記の一部など、様々な表現の形式で書いてもよいことになっていました。他にも学校生活を紹介する文を、何人かで協力して作った作品もあります。
 さて、この「松ぼっくり」の第一号には、世界的に有名になった先輩の文章がのっています。
 一つ目は、経済学という分野で優れた仕事をした故青木昌彦さん(スタンフォード大学名誉教授)の作文です。題名は、「今度の社会科について」です。当時6年生だった青木くんは、「新聞とラジオ」というテーマの調べ学習をした出来事を書いています。新聞ができるまでの仕事の内容について新聞社につとめるおじさんに聞き取ったり、どの新聞を読んでいるか町ゆく人にアンケート調査をしたりするなど、熱心に取り組んだことがわかります。その後、青木くんは、社会の仕組みについて興味を持ち続け、日本人では誰も受賞したことがないノーベル経済学賞に最も近い、といわれるような学者になりました。
 二つ目は、中学3年生だった故森稔さん(元森ビル株式会社代表取締役社長)の創作物語「兎(うさぎ)の子」という文章です。「松ぼっくり」の第一号は、中学生も作品をのせていました。第二号から、小学生の作品のみをのせるようになり、現在まで続いています。このとき森くんは、作家になることが夢だったそうで、この作文も、がんばって書いたことがわかる、おもしろい内容です。それから大学生になった森くんは、作家になる夢をあきらめ、おうちの仕事を手伝うようになりました。そして、東京をよりステキな街にするという夢をもつようになりました。森くんの夢は、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズという新しい街づくりで実現しました。

「『松ぼつくり』のたんじようは、ほんとうにうれしい。やがて、いくつもの『松ぼつくり』がつみかさねられるとき、それは、みなさんの子どもの日の、かけがえのないとうとい歴史―たましいの記録となるでしよう。」

 創刊の辞は、このように結ばれています。青木くんや森くんだけでなく、湘南学園で学んだすべての子どもたちが、この「松ぼっくり」に作品を書いてきました。体験したことや思ったことや考えたことを表現し、お互いに読み合うことで、一歩ずつ大人になっていきました。
 中には、時代をうつしだした作品もあります。
 四十号には、1964年の東京オリンピック閉会式について書いた作文があります。その作文には、いろいろな国の選手たちが混ざり合って入場してくる様子に、驚いたと感想がありました。オリンピックの閉会式で、自由に入場するようになったのはこの大会が初めてでした。地球上の人々が一体となる感動的な出来事が「松ぼっくり」となって残っています。
 六十九号には、元号が昭和から平成になった出来事を書いた作文があります。このときは、昭和天皇が崩御(ほうぎょ)された後に、平成となりました。昭和天皇が長く病気であったこともあり、かわいそうでさびしいと気持ちがのべられています。令和になったときとは違う、暗い様子が伝わってきます。
 新しい令和の時代になって、2回目の東京オリンピックが開催される2020年。「松ぼっくり」の百号を発行できるのは、とても喜ばしいことです。
 「松ぼっくり」の作品の一つ一つには、みなさんが生活する中で見つけた感動が表現されています。感動は、大きな心の動きだけではありません。気になったこと不思議に思ったことなど、小さなことも感動です。書くということは、自分の感動をよりはっきりと形にすることです。作文に苦手意識があったとしても、自分の考えや思いアイデアといったものを表現しましょう。そして、お互いに読み合って、みがきあいましょう。
 そうやって湘南学園の子どもたちは成長してきました。そして、これからも成長していくのです。この営みが、「松ぼっくりの歴史」なのでしょう。
 松ぼっくりから立派な松の木が育つように、みなさんの未来が、様々な形で輝くことを期待しています。