6年生修学旅行 vol.4(2016年度)

2016年6月1日

修学旅行2日目の朝は、竹林院の庭園散策からスタートです。


竹林院宿坊の責任者福井さんから、お庭の見所を教えていただきました。

池をぐるりと周遊し、遠くの山を借景として楽しむお庭であること、豊臣秀吉が天下統一した頃、千利休がこの庭に手を入れたこと、宿坊の屋根には、当時の通信手段であったのろしを見張るための火の見櫓があることなど、いくつかのポイントを押さえて見学をしました。

展望台から「おお、これと同じ景色を殿様も見てたのか!」と感激している人もいました。

 

実は昨夜、竹林院の住職・福井良盟さん(福井さんのお兄様)からお話を伺うことができました。

もともと竹林院は、修験道の総本山であった金峯山寺に修行にやってくる山伏の宿坊です。そのお庭も、もとは修行の山として有名な大峰山を模した質素なものであったそうです。それが桃山時代に、豪華な庭園に姿を変えた背景として、こんなお話をして下さいました。

吉野山に、天下統一を果たしたの豊臣秀吉がわざわざ花見にやってきたのは、ただの物見遊山ではなく、自分の権勢を見せつけて山伏の勢力を手中にしようという意図があったというのです。戦国時代、いくさの基礎情報となる地理の知識に長けていた山伏は、武将にとってはたいへん重要な存在だったそうです。山伏の勢力を味方につけるために、秀吉は花見の際に豪華な屏風を百双も吉野に持ち込み、求められればそれらを山伏にあげてしまったというのです。今も吉野に残っているわずかな屏風のうちのひとつが、竹林院のロビーに飾られています。(今朝の福井さんのお話では、なんでも鑑定団にこの屏風を出品したところ、一億円の値段がついたそうです!)また、山伏の側も、時の権力者豊臣秀吉に対して、信長の時代の比叡山焼き討ちのような仕打ちをされてはかなわないと考えて、従ったのではないかというお話でした。

歴史の授業や大河ドラマで聞いたことのある有名な人物が、この地で権力争いを繰り広げていたなんて、ちょっとゾクゾクするような体験でした。

朝食をいただいて、お世話になった竹林院の皆さんにお礼のご挨拶をしました。

朝食担当の食事係の6年生から
「朝の散歩が一番楽しかった」という話も聞けました。

これからバスで法隆寺を目指します。