体育祭に込められた「隠れたカリキュラム」とは

2016年5月24日

大型休暇が終わり、学校が再開されると体育祭の季節がやってきます。10日からは体育祭練習のための特別時間割になり、午後の時間が体育祭の練習になります。当初予定されていた17日は雨天のため延期になりましたが、18日は晴天に恵まれ無事フィナーレを迎えることができました。湘南学園の行事は高校2年生が中心となって行われています(高校3年生は受験の学習に専念するために行事には参加しません)。湘南学園の行事の特色は何といっても「生徒が主体となり毎年一から作り上げる」点にあります。今年度の体育祭も実行委員会を中心に一から創り上げられたものです。

実行委員の内の決勝審判セクション一同

 

実は体育祭を生徒が作り上げることには、行事・イベントといった意味合いを遥かに超えた意味合いがあります。ここでいつもとは違った体育祭の「教育的な意義」つまり体育祭に込められた「隠れたカリキュラム」について考えてみたいと思います。体育祭を通じて生徒たちはどんな力を経験的に会得しているのでしょうか?

 

分析力・物事を比較する観察力

体育祭を一から作り上げるといっても、体育祭は毎年あるわけです。つまり、リーダーとなる高校2年生の前に4回の体育祭を経験しているわけです。自分が経験したその4回の体育祭を冷静に分析することがすべての始まりです。実行委員会では「○○年度の体育祭の××の部分はよかった」「昨年度の体育祭の△△に参加したんだけど、後輩が置いてきぼりになっていた気がする。今年度実施するにしても□□の部分は変えたい」といった意見交換が活発に行われます。体育祭を作り上げてきてくれた先輩方に感謝して良い部分を継承しつつも、問題があった部分は新しくしていくということです。

 

色別のパネル:毎年内容が進化している

 

物事を企画する力

自分一人のことはある程度自分でコントロールできますが、体育祭は湘南学園中学・高校の千人がかかわる行事です。高校2年の生徒たちは自分たちの体育祭を完成させるために綿密な計画を立てています。まず、最終的な形をイメージします。本番にそのような形にするためには、いつの段階でどれくらいの完成度であれば間に合うかを考えていきます。こうした力は生徒たちが将来活躍の場を大学や企業に移した時に大いに役に立つことでしょう。

全員が参加するパフォーマンスは計画性の象徴:入念に作り込まれている

 

柔軟性を身に着ける

生徒たちは体育祭のために綿密な計画を立てているわけですが、常に計画通りにいくわけではないということもよく理解しています。そのため、余裕を持った計画を立てたり、計画がうまくいかなかったりした場合に、状況に応じ計画を変更するといった柔軟性も体育祭を通じて身に着けていきます。

アナウンスも柔軟に:放送原稿にないことも臨機応変に対応

 

自分と違う意見に耳を傾ける心の余裕

体育祭の準備期間中、時には衝突・葛藤もあります。そんな場合、生徒たちは話し合いを重視します。自分の意見を押し通すのではなく、あらゆる人の意見に耳を傾けたうえで最終決定する。きわめて基本的ではありますが、最重要な民主的プロセスをたどります。ただし、一度決まったことには従うというフォロワーシップも重要です。ただしこういったことは心の余裕があるからこそできることです。常に心に余裕を持っている人は幅広い視野で物事を考えることができます。

意見が違っても耳を傾け合うからお互いを認め合える

 

 

チームワークの重要性を知る

毎年、体育祭の最後にあるチームリーダーからの最後の呼びかけで耳にするのは「自分一人だけではこんなに素晴らしい体育祭を作ることは無理でした。皆さんの協力と応援があったからこそここまで成し遂げることができました。ありがとう!」この言葉を聞くたび「生徒たちはまた一歩成長したな」と感じます。何事も自分一人だけではなく周りと協力するからこそ成し遂げられる。そのことを身をもって学んでいるのです。ともに頑張ってきた仲間との経験は一生の宝物でしょう。

チームワークを生かしてリレー制覇だ

 

一番重要なのは…想像力

想像力。これをどれだけ働かすことができるかが最重要。そう言っても過言ではありません。人はとかく「目に見える」ものだけに注目しがちです。もちろん目の前の現実に向き合うことも大事なのですが、現実を超えて物事を想像できる力が人の人生を左右します。体育祭のリーダーたちも想像力をフル活用しています。「この企画がうまくいくだろうか?」「どうしたら後輩にわかりやすく説明できるだろうか?」頭の中でシュミレーションするわけです。そうしているうちに現実を超えたもの、すなわち「物事の本質」に出会うこともあるでしょう。そう言えばアントワーヌ・サンテクジュペリの名著「星の王子さま」にも「たいせつなものは目に見えない」(l’essentiel est invisible pur les yeux)という一説がありましたね。本質を見抜く想像力を身に付ける、これが「隠れたカリキュラム」の狙いなんですね。

 

最後の結果発表:彼らは点数だけでは見えてこない重要なものも見ている