2016年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー3日目

2016年8月20日

 今日はアウシュビッツ強制収容所へ行ってきました。日本人ガイドの中谷さんから説明を伺いました。ほとんどのユダヤ人がユダヤ人であることだけを理由に収容されずにガス室で殺されたことや収容所内で特権を与えられたユダヤ人がユダヤ人を監視していてドイツ人は直接手を下さなかったこと、不妊治療の研究をしていた医者が不妊にする研究をしていたことなど様々なことを伺いました。今の難民問題と結びつけて話をしてくださることもあり、話を伺った時点で各自メモを取るなど熱心に聞いていました。見学後は早稲田大学生に主導していただき意見交換を行いました。以下は生徒の感想文です。

<T.M>
今日はアウシュビッツの強制収容所に行きました。第一収容所はたくさんのレンガ作りの建物がありました。ドイツはアウシュビッツに、ユダヤ人を閉じ込めていた時、外の世界に漏れなかったと聞きました。だから外に伝えるために収容されていた人が命がけで撮った写真が1番印象に残っています。他にもガス室で殺された人が75パーセントでほとんどが収容されずに毒で殺されたことがびっくりしました。収容された女の人の髪の毛とかも全部取ったり、ユダヤ人を殺すだけじゃなくて取れるものは全部取っていて怖かったです。第二収容所はきれいな自然の中にありました。でも建物の中は薄暗くて木の板の中でたくさんの人が住んでいたと言ってました。そこでは多分あんまり寝れないのに14時間働くのはつ
らいし病気になるなと思いました。トイレも穴があるだけでした。中谷さんが言っていたように人が人がをものと見た時殺したりしてしまうとわかりました。
<Y.M>
今日は、アウシュビッツに行きました。様々な国の人が、ものすごく大勢でにぎわっていました。そこには、ユダヤ人の人達もいました。ものすごく広大な場所で多くのガス室があり、ほとんど壊されていました。ここでたくさん殺された所なので少しゾッとしました。髪の毛とかが生々しくあり、その時の風景がわかる逃げようとしている人の写真も見て、これが現実だったのかと思った。そのあとバスの中で皆が思ったこと、不思議に思ったこととかをシェアして、終わりにした。
<T.K>
今日は1日中アウシュヴィッ強制収容所に行っていました。まず、何故今回アウシュヴィッ強制収容所という日本から遠く離れたところに行ったのかを説明します。
みなさんはネットショッピングをするときに頼んだものと届いたものが少し思っていたものとは違ったことはありますか?おそらく近いことは感じたことがあるのではないかと思います。それと同じでいくら教科書や参考書で見ていても実感がわかなかったり、間違って捉えたりします。それは、ネットショッピングの出品者が自分の出品している商品をよく紹介しているのと同じで、その教科書や参考書を書いた人の目線で書いてしまっているからだと思います。その為、実際に自分の足を運んで現地に行って自分の目で見て見ると全然違い、ちゃんと歴史を学べると思うから実際に行きました。
では、何故この歴史を学んだのかと言うと、現代とリンクしていることが多いからです。近年、難民はここ70年の中で最も多くなっているのです。ユダヤ人は古代からずっとキリスト教やイスラム教の人々と敵対し続け、住むところを追いやられてきてきました。そして、難民もユダヤ人と同じように住むところを失い列車に乗り、過酷な状況で他の国に移住しています。その点では難民もユダヤ人もあまり変わらないのではないかと思います。また、当時のナチスは障害者も生きる価値がないと迫害してきました。そこから考えると先日、相模原のほうで障害者を大量に殺す事件も、障害者は要らないと行っていることから日本がそのような流れになっているのではないかと思います。それらの事柄から、現代の社
会を生きていくにおいてホロコーストの歴史を学ぶことは最も重要ではないかと思いました。
そして、最近は安倍政権が発足し、麻生副総理が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」などと発言していることから安倍政権は日本をナチスに近づけようとしているのではと思います。その為、投票率が50%近くの現在に自分がしっかりとした人に判断しなくてはいけないと思いました。また、難民についてはガイドの中谷さんから聞いてリンクしていることに気づいたくらいなのでこれから調べていこうと思います。
<T.K>
今日アウシュビッツに行ってみて
人間は教育次第でどうにでもなるとわかって少し恐ろしくなった。
アウシュビッツではユダヤ人も監視役になって人間が人間を殺す結末になったのは残念だった。
昔のドイツ人が悪気がなく、ユダヤ人を何万人も殺して行ったことは恐ろしいと思った。アウシュビッツではうまくやっているように見せかけて、信じ込ませていることは恐ろしいと思った。戦争後も裁判で、国にやれと言われた、と言っていることには残念だと思った。
ユダヤ人を、生きる価値がない、などと思ってしまってナチスが大量虐殺に走ってしまったことには驚いた。今でも難民が2000万人以上いて、居場所に困っていることは残念だと思った。日本は難民の受け入れをあまりしていないが、近いうち難民を受け入れるしかないと思った。しかし文化の違いで戦争が起きることはないように気をつけないといけないと思った。
何でも世界でトップクラスだったドイツがどうしてこんなことをしたのか気になった。
<N.S>
今日はクラクフの街を出てアウシュビッツを見たあとにワルシャワへと行きました。
まずクラクフを出たあワルシャワに行ったんですが、そのバスの中で思ったんですが、クラクフは交差点が十の形が多いんですが、ワルシャワに着くと十の真ん中に○があるみたいな形をしてました。
アウシュビッツの第一収容所に着くとそこは博物館になっており、様々な残酷なものや写真が置いてありました。僕にとってユダヤ人だけが強制収容所で殺されたと思っていましたがそうではなく、政府に反対することができる政治家なども殺されていったということを初めて知りました。第二収容所では昔のままの建物が残っていたり爆破されてたりしていました。ガス室とかも破壊されておりドイツ軍も証拠を消したかったのかなと思いました。
ワルシャワに着くまでの道路はほとんど建物がなく、すごく田舎感が溢れていました。
ワルシャワに着いたのは8時頃であたりは暗くなりつつとても疲れました。
<U.H>
今日は最初に中谷さん主導の下、アウシュビッツ第一強制収容所を見学しました。入り口は写真で見た通りでしたが中に入るとレンガでできた二階建ての建物がいくつも立ち並んでいました。一見すると白樺やポプラが道の両側に立ち並び、収容所には見えませんがよく見ると、地下の部屋の窓には鉄網があったりしてそれとなく雰囲気を表しています。中に入ると収容されてしまったユダヤ人の写真がずらりと並んでいました。その中には自分の誕生日に殺された人もいたので、より一層悲しくなりました。(男の人です)自分は以前、池上彰さんの番組でアウシュビッツ強制収容所をテーマにして色々な場所を紹介していました。(この番組が自分が今回のツアーへ行くきっかけになったと言っても過言ではありませ
ん)その中でガス室のつめあとが出ていて一番印象に残りました。今回は見れなかったので少しガッカリですが、ガス室跡だけでも充分に悲惨さが伝わって来ました。その後第二収容所へ行きました。ここは番組では紹介されていなかったので広さに驚かされました。ここまでするナチスに呆れを通り超す感情を抱きました。今日は悲惨な事を学ぶ良い機会になりました。
<H.H>
今日は前から行きたかったアウシュビッツ強制収容所に行きました。収容所は、全部で3つあり、そこで約130万人粛清されたそうで、僕はすごく驚くとともに、どうしてこんなに沢山人が死んでいるのに世間は知らないふりをしていることについて僕は、人間の恐ろしさを学びました。そして今日行ってみて、ガイドな話を聞くにあたって段々と胸が痛くなって、特に生きるために上からの命令に従ってユダヤ人(カポ対囚人)同士で戦ったり、同胞の亡骸を焼却したりしていた事にとても悲しくなりました。僕達がこれから出来る事は今、世界では難民問題や、テロ、紛争が多発しており、とても悪い方向に向かっています。
これからの世界では必ず悪い思考が生まれるらしいです。
だから僕が考えるに、しっかりと一人ひとりが政治の方針に目を見据えて、悪かったら周りかなんと言おうと反対することが大切だと思いました。
<R.T>
アウシュビッツ強制収容所に行って、場所が広く今でも当時の線路や有刺鉄線が残っていて自分の想像と同じだった。しかし、自分が歩いていた場所がユダヤ人が大量に殺害されたと思うとゾッと恐怖を感じた。また、ナチスの様な危険な思想が今でもあったりうまれたら恐ろしく大変なことになりそうだと思った。さらに、中谷さんから聞いた話でナチスドイツからアメリカへ亡命したアインシュタインが製造した原子力爆弾が日本に落とされた、ということに結構驚いた。
<S.N>
アウシュビッツ強制収容所にいって驚いたことがたくさんありました。
まず、最初に驚いたことはアウシュビッツというと線路が敷いてある所一つと、思っていましたがアウシュビッツには第一と第二があることです。とても、広いと感じました。
次に驚いたことは、ユダヤ人を大量に殺したガス室に入れていたガスが殺虫剤だったことです。一缶で150人も殺しせる缶が何缶もあったことに驚きました。
アウシュビッツに行って最も印象に残ったことは、ユダヤ人が寝ている所が一つの小さいの所に二重で15人ものユダヤ人が寝るというの驚きました。映画などでも見ても寝ているところは、一つの場所に1、2人しか寝てなかったので違いに驚きました。
他には、もともとアウシュビッツの場所にポーランド軍の兵舎があったということやその兵舎のオシビエンチムという名前をドイツが言いやすいアウシュビッツに変えたということです。
アウシュビッツに行ってみてとても怖く、興味深いところだと感じました。
<M.K>
今日はアウシュビッツ強制収容所を見学してきました。僕がその中で一番印象に残った事は、ナチスの人達が自らの手を汚さずにユダヤ人に仕事を全て任せていた事によりユダヤ人同士の争いなどが起こりたくさんの人達が亡くなっていった事です。ナチスの人達は多くの人が死んでいるのに知らないふりをしている事についてとても驚きました。このようなな事がまた起こらないように一人一人自分の意見をしっかり持ち自分が悪いと思った事には周りに何と言われても反対出来るようになる事が大切だと思いました。
<H.M>
•今日感じた日本とポーランドの違い
今日感じた日本とポーランドの違いは緑の多さです。確認すると日本に比べて木の数が2、3倍あり山なども二倍ほどありました。
•アウシュヴィッツ強制収容所に行ってみて思ったこと
ヒトラーのようにユダヤ人だから殺そうという思想を僕は昔のことと思っていたけれどこの前日本であった障害がある人達を大量に殺してしまったという事件がありそれを思うとまだヒトラーの様な思考を持っている人がまだいるという事を感じこれからそのような人たちを出さないためにどうすればいいのか、考えて行かないといけないと思いました。
•今日初めて知ったこと
今までずっとアウシュヴィッツ強制収容所には、ユダヤ人だけが収容されていたのかと思っていたらそうではなく、ヒトラーの思想に対して反対した人たちも入れられていたということ、収容された人よりもガス室で殺された人の方が多いということ
•今日疑問に思ったこと
ヒトラーは結局何がしたかったのか それに対しての早稲田学生さんたちの答え
⇒銃殺するよりも労働させて餓死させた方が合理的だと考えた
●三日目を終えて
体調不良はおさまってきました、喉はまだ痛いけれど
<S.S>
今日アウシュヴィッツ第1、第2強制収容所に行って感じたことは、自分が今まで思っていたことが所々違っていたことがわかりました。
自分はユダヤ人がアウシュヴィッツに送られたら寝かせてもらえず労働させられて死んでいってしまうと考えていましたがこの日知ったのとは全然違いました。
まず第1収容所に行って自分が考えていたことは最初から違っていたことがわかりました。なぜならユダヤ人の約75%の人が収容所にもはいれず、子供や女性、老人はすぐガス室に入れられて亡くなってしまっていたそうです。
それにユダヤの人達は一応寝てはいたそうです。しかし、布団はとても粗末な物で、藁、マット、小さい布団、そしてとても小さい三段ベッドがありました。僕はこれを聞き、もしかすると、三段ベッドになっていくと死が近づいてきているのかなと思いました。
第2収容所では、沢山の収容所があり、何個が爆破されてなくなっていましたがどれだけ沢山の人が苦しんでいたかがわかりました。そしてこれは日本とは決して関係無い訳では無いと思いました。