韓国英語村 4日目

2014年7月28日

昨日までの雨も上がって、4日目はいいお天気に。

最終日の授業は”Music”と”Telephone”。

音楽の授業と言っても、英語で楽しむには、まずは楽器のボキャブラリーの学習から。

でも、今日はこれまでとはひと味違って、「カテゴリーで分類する」という少しむずかしい課題に挑戦です。木管楽器、金管楽器、弦楽器、打楽器、鍵盤楽器という5つのカテゴリーに、習った楽器の名前を当てはめていきます。一通りの楽器の種類を教えてもらったところで、楽器名を書いたカードを何枚かずつ手渡され、どの種類に属するか並べていくゲームで知識を確認します。

 

つぎに、いよいよハンドベルの演奏に挑戦。ドレミ…の階名の代わりにABC…の音名が書かれたハンドベルを手渡され、先生の示したボードに書いてあるアルファベットの通りにベルを響かせていくと、なんとドレミの歌のメロディーに。自分の番がいつ来るかドキドキしながら何回か練習して、上手に演奏できていました。

 

これで終わりかと思ったら、最後に仕上げのテストが! さっき教えてもらった5つのカテゴリーから1つを選んで、楽器の名前を3つ言えるかな?という記憶の確認。ヒントの絵カードの助けもなしに、部屋の中の楽器をぐるぐる見回しながら、がんばって答えた子に”You are exellnt!”とボーナススタンプが与えられて授業が終わりました。

 

“Telephone”の授業では、電話を使ってピザの注文をしたり、店員さんになって注文を受けたり、という練習。ここでも会話の英文が読めない子は先生の助けが必要でしたが、ワンフレーズずつの耳コピでやりとりを練習できました。おまけの課題として、いろいろな国に国際電話をかけるときの国番号を、一覧表から探して調べる、というワークシートに取り組みました。綴りで国名が類推できる子は、ズラッと並んだリストの中から目当ての国をサッと見つけることができていましたが、アルファベットをたどりながら探している子には、相当難度の高い課題だったようです。

4日間の授業を通して、ボーナススタンプを一番たくさんもらった子が、小学生と中学生から1人ずつ、最後の卒業セレモニーで表彰されました。続いて全員のがんばった様子を画像で振り返るスペシャルムービーの上映。4日間ですっかり仲良くなった中学生からは、小学生が画面に登場するたびに、ニックネームで歓声が上がっていました。

 

少し早めの昼食を取り、いよいよ英語村ともお別れです。韓国の子と顔見知りになった男子は、ハイタッチをしながら”See you!” “Come to Japan!” と声を掛け合っていました。

金浦空港に向かうバスの中では、野球部の中学生が音頭を取って、なぜか湘南学園応援コールの大合唱が延々と続きました。英語村での楽しかった気持ちの高揚で、8年ぶりに高校野球地方予選1回戦を勝ち上がった時の興奮がよみがえったのでしょうか?! 小中学生合同「チーム湘南学園」の一体感を味わっているうちに、あっという間に空港に到着しました。

日本で待ってくれている家族へのおみやげを買って、英語村で練習したイミグレーションの本物を通過すると、出国手続き完了です。夕刻、羽田で入国手続きを終え、空港までお迎えに来て下さった家族のもとに、無事に帰ることができました。

韓国内では、日本と同じように平和な日常生活が営まれていましたが、テレビをつけると、セウォル号の沈没事故に関連する項目がトップニュースに近い扱いだったり、その後の様子を伝えるドキュメンタリーが流れていたりしました。今でも、あの事故は韓国の人々にとって、大きな心の傷となっているのだろうことが感じられました。今回の英語村でも、韓国の人々にどうやって追悼の気持ちを伝えたらいいのかと思いながら、自分の語学力の貧弱さのために、韓国の子たちに話しかけることはあきらめてしまいました。授業の中で先生が教えてくれた、「違う国の人と良いコミュニケーションを取るためには、抑揚や気持ちを込めて話そうね」というアドバイスも、もう少し英語を勉強していけば生かせたかもしれません。

一時の韓流ブームの頃に比べると、金浦空港を利用する日本人の姿はめっきり減ってしまったようです。日韓の政治的な軋轢もなかなか改善の気配がなく(ちょうどソウルを訪れていた桝添都知事の映像がニュースにはでてきましたが…)、どこに解決の糸口があるかはなかなか見いだせません。英語村で「あなたはどうして英語の勉強をしているの?」と先生に質問されて、「将来いろんなことがしたいから」と答えている子がいました。英語が母語でない国の人同士がコミュニケーションするのにいちばん便利な言語である英語を学べば、「できること」の幅が世界規模になるわけです。大人同士は理解し合うのに障害がたくさんあっても、同じ言葉を学んでいく子ども同士なら、障害など軽々と越えて理解し合える可能性はいくらでも広がるでしょう。自国の文化に誇りを持ちながら、世界中の人たちと仲良く暮らせる未来を、子どもたちに託したいと強く感じた4日間でした。