2018年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー④

2018年9月3日

カウナスには、かつて日本の公使館がおかれていました。第2次世界大戦勃発直前の1939年8月、カウナスの公使館に着任した日本人外交官の名を、杉原千畝(すぎはらちうね)といいます。


 
大戦中、ヨーロッパで渦巻いたホロコーストの荒波の中、助けを求めてカウナスの日本公使館に詰めかけたユダヤ難民たちに対し、杉原は日本政府の方針に反して日本通過ビザの発行に踏み切りました。杉原が発行したビザによって救われたユダヤ難民は6000人を数えた、といわれています。
自身の身の安全を顧みない杉原の「命のビザ」は、リトアニアと日本のみならず、世界的にも知られるようになりました。

 
そんな理由から、カウナスでは日本への関心が高く、市内にあるヴィータウタス・マグヌス大学は、1996年にリトアニアで初めて日本語の講義が開講された大学でもあります。
 
5日目は、このヴィータウタス・マグヌス大学にあるアジア研究センターからのスタートです。

本大学のアジア研究センターは、当初は日本を研究する組織として始まり、その後中国や韓国、台湾をも研究の対象とするようになりました。現在ではアジア各地にある大学と協定を結び、アジア研究の蓄積が少ないリトアニアにおける、アジア研究の中心的存在となっています。
 

大学構内には、「杉原千畝」の名前を関する会議場が!
 

大学の図書館には、たくさんの日本語の書籍も。
「将来、皆さんもこの大学へ留学に来てください」という応援の言葉を胸に、次の目的地へ向かいます。

 
午後はガイドさんに案内してもらいながら、カウナス旧市街をめぐります。

旧市街の市庁舎広場に面する、フランシスコ・ザビエル教会(Kauno Šv. Pranciškaus Ksavero bažnyčia)の祭壇です。
カウナスの旧市街といえば、聖ペテロ・パウロ大聖堂や旧市庁舎など、美麗な建築物が著名ですが、ひっそりとたたずむこちらの教会からは、リトアニアの歴史をうかがい知ることができます。

ソ連統治時代、キリスト教は厳しい弾圧を受けました。この教会もまた例外ではなく、ソ連はこの教会をスポーツ施設に作り変え、地下にあった墓地は、なんとサウナにしてしまったのでした(!)
現在の教会は1992年に再びキリスト教会として改修を受けたもので、内部は他の聖堂とは異なって、やや控えめな装飾が施されています。
静かな聖堂から、リトアニアがたどってきた歴史を感じた一幕でした。
 

カウナス城を一望する
 


その後、しばしの休憩をはさみ、本日のメインとなる、杉原記念館へ向かいます。
 

久々に目にする日本語の標識。


 

杉原千畝の生涯についての映像を視聴。
 

彼が「命のビザ」を発行した執務室を再現した場所など、記念館の中を見学しました。


こんな記念写真も撮影が可能です。

 

「わたしは事前学習として、唐沢寿明が主演している映画を見ました。やはり、家族の安全よりホロコーストで困っていた多くのユダヤ人を助けたことは、すごく勇敢なことだと思います。日本がドイツの味方をし、多くのユダヤ人を見捨てようとしたことについては、納得がいかないです。ツアーが終わっても杉原さんについて本や映画などをたくさんみたいです。」(中学生・女性S)

「訪れた方がコメントを残していくノートを見たときに、いかに日本人が彼をリスペクトし、関心を持っているかがわかりました。」(高校生・女子T)

あれから70年以上が経過した今、今を生きる私たちが彼から学べることとは、一体なんでしょうか。

 

アウシュヴィッツを見学した際、生徒が語った感想が思い出されます。

「今も戦争はあり、多くの難民もいるが、その人達にユダヤ人たちのような苦痛を与えてはいけないと思った。難民を受け入れることは国では大変な事なのかもしれないが、世界で難民の人を救わなければならないと思った。」(中学生・男子H)