第977回 子ども達のネット依存を考える③

2014年10月23日

昨日までの続きで、今日までといたします。

土井先生はその後、日本社会における親子関係の変遷をていねいにたどって、世代間のギャップが縮小した経緯を述べます。友だち同士のような分、不安定なため、親から受ける承認の重みに恵まれないことが自立を阻みやすい事情を説きます。学校の教員も友だち感覚でつきあえる相手になった分、似た状況につながりやすいのです。かつて尾崎豊が歌ったように、大人が共通の敵として屹立する時代ではないのです。

 

そうした背景の中で、友だち関係への鋭敏さが助長され、摩擦を帯びやすくさせていったと分析されます。今日のいじめに、どこでも誰でも起こりうる、標的が動きやすい傾向が広がり、“教室のどこに地雷が埋まっているか”分からない状況も出やすいとされます。

こうした社会の中で、「承認願望の強さ」は、子どもにも親にも教師にも共通しています。また、できるだけ価値観の近い人だけと場面ごとに相手を替えながら確実な関係を維持しようとする傾向、その切り替えを頻繁に行うために母集団を増やし、ネットを駆使して「イツメン」を保険にして暮らしている様子、しかしその分だけ真の親友をつくることは難しくなった事情。以上のように、土井先生は追跡しています。

子ども達のモバイル機器の使い方は、あたかも運転能力の未熟なドライバーが、いきなりアクセル全開で自動車を走らせているようなものだと的確に形容されています。それなりの訓練と経験を積むまではその一部を制御する仕組みも必要かもしれないとも指摘されます。

 

今日の子ども達は、自分の人格イメージを単純化・平板化させて「外キャラ」を演じあうことで、周囲の人間関係を破綻させずに円滑に廻していこうと努めがちであり、ネット上では人物像が紋切り型になりやすい、とも指摘されます。

能楽の理論や有名な「ジョハリの窓」の理論を引き合いに、相手の意外な反応に出会わないと本当の自分の姿にも出会うことができない心配にまで言及されます。「婚活のマッチング方式」にある効率の良さとじっくり向き合って関係を育む難しさが例示され、「協調性」や「絆」を強調することがいじめを助長したり、自己否定感を強めることにもなる逆効果が指摘されます。

 

土井先生の結語は、このブックレットではごく簡潔に記されて終わります。

「いま私達がめざすべきは、内部で閉じた結束ではなく、緩やかに外部へと開かれたつながりではないか」が重要な一節です。身近な人間関係も、機器の利便や表面的なキャラにとらわれずに深くつき合っていけば、そこにも「多様性の種が数多くかくされている」と説かれます。

まずは子ども達をきちんと見つめ、大人に対して安心して依存できる関係を築いてやることが重要です。その後は自立へのきっかけを積極的に作ってやり、ある段階で「見つめられる側から見つめる側へ」と、承認のベクトルを反転されてやらねばならないのです、と重要な課題提起がなされます。

自分が「周りから求められる側」に立ち、「そこで必要とされている実感」を得ることが、「自己肯定感の確固とした基盤となる」からだと核心的な記述に出会います。そして「親以外の信頼できる大人との出会い」が子どもの生きる力になる、「信頼できる他人の大人に合わせること」や「自分もよその子にとって信頼できる大人になろうと努めること」の大切さが、締め括りに語られています。

 

以上、もっと要約しておくべきかもしれませんが、シャープな分析を具体的に紹介したくて、続けさせて頂きました。興味を持たれた方は、ぜひ直接にこのブックレットを手にされ、通読されることをお勧めしたいです。親と子どもが、教員と生徒が対話していく上でも有益なヒントに満ちた貴重な一冊です。