第1399回 安藤克成先生をご紹介

2018年12月7日

本日は、安藤克成先生をご紹介します。

 

担当教科 数学

担当学年 中学3年生、高校2年生

出身地 神奈川県

教員歴 14年目

 

今回は、安藤先生の教室にお邪魔しました。

第一印象:生徒が笑顔になっている

 

まず、安藤先生の授業を通じて感じたことは、「生徒が顔を上げている時間が長い」ということでした。私の経験上、顔を上げる理由がなければ、生徒諸君は顔を上げてくれるようなことはありません。なんだか、当たり前のことを述べているように思いますが、とても重要なことなのです。

安藤先生の授業を一言でいうならば、「クリアーなので楽しい」ということです。

話題の焦点が定まっているので、安心して思考の世界に入っていきます。「新しいことだけれども、きっと発見があって楽しいのだろうな・・・・」と思いながら、勉強の世界に入り込んでいけるような空気感がありました。

安藤先生の魅力をもう一つ言うとすれば・・・・

それは、声です。パリッとした輪郭のはっきりとした声なので心地よいというわけです。

(実は、・・・・安藤先生・・・・、ここだけのお話ですが・・・・、マイクを持つとすごいのです。)

 

この日の数学の授業は、実にテンポよく展開されていきました。楽しい、かつ勉強はどんどん進んでいく・・・・そういう授業でした。

 

 

(以下、安藤先生へインタビューの内容です)

木下:湘南学園の印象をお聞かせください。

 

安藤先生: 活発な生徒が多い学校というのが印象としてはありますね。一方で、活発ではない生徒もいるが、活発な生徒の姿を見て影響を受けているようなところがあると思います。湘南学園の生徒は、みんな健全だと思いますね。

 

 

 

木下:教職に就いたきっかけは何ですか?

 

安藤先生:もともとは、歯科医になりたかったのです。ですから大学も歯科大に通っていました。中高生時代は様々なことがあったのですが、そのような中で、医療を目指そう考えるようになりました。結果として私は、歯科大に進むことになりました。

しかし、歯学部の2年生まで通っていました頃、経済的な理由で学費が払えないという状況になってしまったのです。その結果、残念なことに歯科大をやめることになってしまったのです。

歯科大を退学した私は、数学を教えるということが好きでしたので、塾講師やその他アルバイトをしたりしました。

 

そもそも歯科医になろうと思ったきっかけのお話に戻りますが、まず私は、人のためにできることがしたかった。そして、人を救うということに関わる仕事に就きたいと思ったわけです。この「人を救う」というのは、人の弱いところをどのようにしてケアしていくか、どのように助けてあげられるか、ということを考えていくことであるわけですね。そういうところに力を注ぐ仕事だという意味では、医者も歯科医も同じだという考えです。

一方、数学を教えるということが好きだった私は、数学を教えて人の手助けをするということと、お医者さんとして人をケアするという要素に共通点を感じたのです。そこで、学校や塾で教えるという仕事がいいと思ったのです。

数学の教員になろうと決めた私は、どうせ数学をやるのであれば、専門的な知識も得たいと思ったのです。ならば、もう一度大学に入り、再度勉強をしようと決意して、24歳で大学に入学しました。その後、教員免許を取得して、ついに教職に就いたということです。

 

木下:色々と苦労はあったのでしょうが、お話を伺っていると、ご自身の思いを大切にしながらやって来られた方だなという印象を持ちましたね。「こう思う・・・・」となったら、それをちゃんと実行されてこられたのでしょうね。ご自身の決断に後悔はありませんか。

 

安藤先生:ありません。ただ、もし・・・・、お金があったら・・・・、いまでも歯医者さんにはなりたいと思うこともあります。

歯科医を目指していた時代に、私が求めていたのは、「人をケアする」ということでしたが、今こうして数学科の教師として、自分のしたかったことができていると思うのです。

ところで・・・・、数学という教科は、人に自信を無くさせる力を持っているのです。算数や数学ができないというだけで、すごく頭の良い子であってもが、気持ちが落ちていくことがあるのです。精神的に。そこに手を差し伸べることができるというのが、ある意味ではとてもやりがいある教科だなという思いがあります。

 

木下:どのようにすると数学の力を伸ばすことができるのですか?

 

安藤先生:まず、生徒にとっての成功体験を増やすことが大切ですね。「こうやればちゃんとと解けるのだよ・・・・」という正解までの道筋を、教師からきちん丁寧に示すことです。中には、そこまで細かく教えすぎては意味が薄まる・・・・、という話も聞きます。その趣旨は理解しているのですが、そういう側面で考えているわけではないのです。

難しい問題にしても簡単な問題にしても、まずはそこ(正解)に辿り着けるまでの道筋をきちんと理解できるように導くことなのです。理想は一対一です。その子の目を見れば迷っているのが分かるので、そうしたらこちらも一緒に止まります。もうそろそろ進めそうだな・・・・、と思ったらまた一緒に前に進んでいく・・・・、というようにするのです。最終的にはきちんとゴールまで連れて行くのです。「ちゃんとゴールまで行けた!」という感覚を何度も増やしていくことによって、いつの間にか目の色が変わってきたという生徒をたくさん見てきました。

数学以外にも色々なところに悩みを持っていた生徒が、数学ができるようになったことが一つのきっかけとなり、やがて他の面でも自信をもってくれるようになっていく姿を見て、「数学とは自信を無くさせる力と同時に自信を付けさせる力もあるのだ」ということが分かったのです。数学での成功体験が、他のところでも役立っているのだということです。

 

木下:数学が好きになれない生徒に何を伝えたいですか?

 

安藤先生:高校数学までは、「すべて言葉で繋がるよ」と伝えたいと思います。つまり、「最初から最後(正解)まで、ちゃんと言葉で繋がる」ということです。実は、数学のもっとも怖いところは何かというと、一つの話が飛躍していくところなのです。しかし、飛躍しているところを細かく丁寧に見ていくと、一つひとつのことがちゃんと繋がっているのです。「繋がっている」のイメージを別の例で例えると、列車が各駅停車をする感じですね。一駅ひと駅が繫がっているように、数学も一つひとつが実はしっかりと繋がっていくのだというイメージになります。でも勉強が進んで、やがて「数学力」がついてくると、各駅停車が「急行」になってくるんですね。そうすると、数学がよく分からない生徒にとってみれば、その急行というのは、全然「合い間」がないので、分かりにくいものになってしまう。彼らは、「数学というのは、合い間なく突如として飛躍してしまうものなのだ」というふうに認識してしまう。特に高校数学になるとこの「飛躍」が大きくなっていきますから、数学が不得意だと思っている生徒諸君にとっては、つらいものになっていきます。「飛躍」があるから分かりにくい、というわけです。しかし、その「飛躍」のおかげで現代の数学が成長してきたのも事実です。

数学を学ぶ以上は、この「飛躍」などに負けることなく、しっかりと数学の議論ができるようにならなければいけない。高校の学習へと進むと、次々と「飛躍」が出てくるので、学ぶ側もたいへんです。つらいものですから泣き言も出ます。

「もうやだ、よくわからない・・・・」

「そもそも数学って必要?」

・・・・ということになっていくわけですね。

・・・・ただ、そのような気持ちにさせてしまった原因は、教える側にあるのです。「飛躍しているように見えるだけで、本当は言葉で繋がるのだ!」ということを、示すことができないから・・・・、というのがその理由なのだと思います。「ちゃんとつながっているから大丈夫だよ・・・・」ということを、私は言い続けていきたいと思っています。

 

 

木下:私はそれを子供時代に言われたかったですね。(笑)

でも、お話を聞いていると、数学の勉強は歴史の勉強と似ているところがありますね。

歴史の勉強をしていると、「この次にこういう出来事が起こったのは実は必然だったのだ」ということがある・・・・。「様々な出来事が、実は繫がっているのだ」ということを感じるという点で考えると、数学も歴史と似ているのかもしれませんね。

さて、安藤先生の目標は何ですか。

 

安藤先生:出来得る限り、学習で苦しい状況にある若者に関わっていきたいと思っています。私には、数学というツールしかありませんが、子どもたちが数学で苦しめられている、という姿をずっと見てきました。壁をなくして平らにしてあげたい、という気持ちです。そこにある道をちゃんと通れるようにして・・・・、恐れないように・・・・、それをひたすら続けて、一人でも多く救われたらいいなという思いですね。