第592回 “つながっていても孤独”~メール時代の人間心理(2)

2012年12月20日


 昨日のつづきです。・・・ケータイやネットに夢中になる一方で、人づきあいが苦手な若者たちが、アメリカでも増えているそうです。「ほぼ何でもメールで済ませる」という18歳の男子が、「すぐにではないけど、そのうち会話の仕方も覚えたいな」と語ったそうです。適度な距離感を保ち、自分をコントロールできる範囲で他人と関わりたいとの心情が察せられます。「他人と一緒にいたいけど、同時にいろんな所につながっていたい」感覚も強くなっていると指摘されます。

 シェリー女史は、直接相手と向き合って会話をするのをなぜ避けるのか、その心理を分析します。会話とは、「リアルタイムで進行し、発言をコントロールできない」厄介さもはらんでいると受けとめられます。メールやネットは「編集が効いて、削除も自由にできる、全てを補正できる」から「なりたい自分になることができる」のです。こうした中で、「conversation」を「connection」に置き換える風潮が広まるのです。

 女史は、人間の成長と豊かな人生のために、「会話の重要性」を力説します。人間関係は奥が深く、また面倒でもあり、テクノロジーのようにきれいには片付きません。でも相手のことを知り、理解を深めるのに会話は必要なものです。人間は他人との会話から自分との向き合い方をも学べるのです。会話を避けていたら「自己を内省する力」が身につきません。特に子どもにとっては大切な成長の基盤になるのです。

 それなのに人びとはまともに会話をしないことに慣れてしまい、人づきあいを鬱陶しいと思い始めています。スマホが進化して「音声アシスタント機能」がつき、いつでも話を聞いてくれる「親友的存在」となる状況すらあります。FacebookやTwitterを通してたくさんの人たちとつながる嬉しさは、機器にいやしを求めるのと裏腹ともいえるでしょう。いま人間のパートナーとしてのロボットまで続々と開発されています。高齢者の介護施設でも活用され、高齢者は「演技派」のロボットに語りかけ、共感してもらった気になるのです。
 様々なテクノロジーが心の隙間を埋めようとするが、本当のいやしになるだろうかと女史は問いかけます。みんなさみしがりやなのに、親しくなるのに臆病となり、自分でコントロールできる範囲で楽をして「つながっている感」を味わおうとしていないかと提起するのです。ネットを通じて「どこに意識を向けても良く」「誰かに注目される可能性があり」「孤独にはならない」心理は、デカルト的に言えば“我伝える、ゆえに我あり”の状態になっていると指摘されます。「もっとつながろうとしてそれが自分を孤立させる」、いわば「connection」から「isolation」へ傾く心配があるのではないかと形容されます。

 そこからシェリー女史は、「人はひとりでいることも覚えないと、実は孤立してしまう」、「他人としっかり付き合うためには、ひとりで自分を見つけることも必要です」と、次の提起を行っていました。(明日までつづく)