2016年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー10日目

2016年8月30日

【10日目】
 朝、ドルスキニンカイとお別れしました。
 ビリニュスに向かう途中で、「トラカイ城」と「パネリアイの森」を訪問しました。「トラカイ城」は、リトアニアの代表的観光地のひとつです。湖上の島にある優美な城の姿に感動です。「パネリアイの森」は、ナチスドイツに占領されたリトアニアにおける、ユダヤ人大量虐殺の現場のひとつです。大きな穴の縁に 並ばされて、次々と射殺されていったという場所です。その穴の縁に立ち、生徒たちはガイドさんの説明を真剣に聞いていました。

 そして、ビリニュスに到着。「ゲディミナス塔」に登って、美しいビリニュス市街を一望したあと、杉原千畝の顕彰碑を訪れました。

 ドルスキニンカイにおける生徒の感想を載せます。

【S・N】
今回のドルスキニンカイのホームステイでも色々なことがありました。
今回の家族は、兄弟がいて最初に行った塩のミュージアムでは同い年のIgnas(兄)とは少し喋ったので家に行く前に仲良くなりました。その後、家に行ってご飯を食べてボードゲームをして全員と仲良くなりました。
次の日は、アクアパークに行きました。ウォータースライダーが何個もありとても楽しかったです。しかし、プールではプールの中で足を着くと手しかでない位深かったです。アクアパークを出るときにロヴェナ先生とホームステイのお母さんと松井先生と歩いていて自分がセグウェイに乗ってみたいとお母さんに言うとセグウェイを知りませんでした。しかし、ロヴェナ先生がリトアニア語で伝えてくれて家に帰ってご飯を食べて公園に連れて行ってくれました。そこで、初めてセグウェイに乗れました。Ignasと一緒に僕はセグウェイで公園を回っていたら慣れてきて昼に行ったアクアパークの近くまで行きました。セグウェイで公園まで戻ると、塚田さんや先輩に会いました。一緒に音楽で動く噴水をみて帰りました。
次の日は、木登りをした後帰ってご飯を食べ家族全員とボードゲームを何回もし て弟のPaulとLEGOや他の遊びを夜遅くまでして寝ました。
最終日は、学校に行ってすぐにバスでビリニュスに向かいました。楽しかったのでもう少しいたかったです。
ビリニュスに向かう途中でユダヤ人が殺された森に行きました。そこでは、リトアニアのユダヤ人98%も殺されたと知ってとても驚きました。しかも、リトアニアのユダヤ人を殺した多くの人はナチスドイツではなくリトアニア人が殺したと知って怖くなりました。
【Y.M】
(ドルスキニンカイにて二回目のホームステイ)
最初は、挨拶をしてすぐに、一緒にゲームをしました。テレビではなくスクリーンで、ものすごく大きくてビックリしました。女の子だったので、あまり会話が弾まなかったけど、プレゼントをあげたら、ものすごく喜んでもらえたので良かったです。
2日目、ホームステイの人が、起きてこない、集合時間に起床してきました!なのに、走らず歩いて行きました。アクアパークに行ってウォータースライダーが、たくさんありましたが勢いがよく、楽しいより痛いに変わりました。その夜、宮下のホームステイ先で夜、遊びに行きサッカーとかして楽しみました。
3日目は、雨が降っていたので学校で、バスケやゴルフとかをして晴れるのを待って、晴れてきたのでワンパークに行きました。そこは、木にワイヤーがあり、高いところでアスレチックをしました。ものすごく怖かった、でも行くしかなかったので頑張りました。あと、すごく高いところから、川を渡りました。ものすごく速かったです。夜になり学校で、サッカーをして終わりました。夜ごはんは、ホームステイ先の母がレストランで、働いていたって言ってたので料理はものすごく美味しかったです。
【T.M】
ドルスキニンカイでのホームステイ。まず家に行きました。家は、ホテルでそのひとつの部屋に泊まりました。家は山の中で木の彫刻などがたくさんありました。木でできた小屋の中は博物館のようになっていて、昔の道具や動物の皮などがありました。2日目は家の庭でバーベキューをしました。その時他のホームステイ先の村田君も来ました。ご飯後、手押し車競争や双子の男の子とサッカーをして楽しかったです。なかでも、保坂君が小さな犬に襲われたり、インターネットの翻訳が意味わからなかったりしてとても楽しかったです。次の日はリトアニア人の人とバスケとサッカーをしました。リトアニアの人はとても身長が高かったです。最終日は、最後にお 土産などもらって帰りました。ホームステイ先の人はとても優しかったです。
【R.T】
ドルスキニンカイでのホームステイはとても楽しいものであった。最初に、ホストファミリーにあった時は相手が女の子だったのもあり何も喋れなかったが、ホストファミリー宅に着いた時には色々質問されてちゃんと答えられたので良かったと思った。また、ホストファミリー宅でやったドミノというゲームが一番自分の中で楽しかった思い出として印象に残っている。ルールは0から6までの数字が2つ書いてあるドミノがあり、最初に1と1を持ってる人が居たらそれを出し、その人の次の人から時計回りに回って1が書かれているドミノを出すゲームだ(説明を文で書くのが難しい)。このゲームを1日目と2日目の夜にやった 。学校で裸足でバスケをした日、家に帰ったら足の裏が腫れていたのでそれをホストファミリーに見せたら驚かれ、心配されて先生に電話してもらった事もあった。色々とハプニングがあったりしたドルスキニンカイのホームステイだったが本当に楽しく、別れが辛かった。もし、また来年リトアニアに来れる機会があったら自分はまたあの家に行きたい。
【S.S】
今日までの3日間ドルスキニンカイの家にホームステイして思ったことは、みんな僕に優しくて、僕がやりたいことをさせてくれて、ゲームなどもさせてくれました。
また、3日目の夜に、サッカーを甲木君の家の人とやったのですがリトアニアの人VS日本人でやったのですが、結構楽勝でした!今度はリトアニアの人にきてもらってやってみたいです!また、サッカーのほかにも、バスケ、パターゴルフなどをやりました。アスレチックにも行き、結構腕力などを使う物が沢山あったので、良かったです。最後に、杉原千畝記念碑のところまで行き、最後は夜にみんなでスリに会わないかとてもびくびくしながらホテルに帰ったのが印象に残っています。またこのメンバーでこのようなことをやってみたいなと思います。そして、ホストファミリーには、とても感謝しています。
【H.M】
(ドルスキニンカイのホームステイを終えて)
行った場所…
・噴水の綺麗な公園
・iki
・リフト
(噴水の綺麗な公園でしたこと)
噴水はとても綺麗だった噴水の音楽がとてもpopな感じでビックリした。写真を沢山とった。
ikiではレゴと生姜のドライフルーツを買った。とても丁寧に案内してくれて嬉しかった。
リフトではリトアニアの大自然が見れて良かった。
バスケやゴルフをやって、バスケは結構本気でやったのですごくいい汗がかけた。リトアニアの人たちが結構うまくて驚いた。ケガ人が多く出ていたのでもっと安全な遊びの方が良かったのかなと思った。女の子たちもたのしんでなかったから。
アスレチックでは、黒以外の所は制覇できた。個人的にレベル3よりレベル2のロッククライミングの方が難しかった。甲木が落ちた時はすごく驚いた。
(今日の森での話を聞いて)
ナチスドイツが殺したのでは無くユダヤ人がユダヤ人を殺したということを知りとても驚いた。やはりホームページで見るだけではなく現地の人の話を聞かないとわからないことが沢山あることが分かった。
【M.K】
 ドルスキニンカイのホームステイ先は賑やかでとても楽しい家庭でした。ドルスキニンカイのホームステイで楽しかった事は2日目にしゅんすけのホームステイ先の子と僕のホームステイ先の子のトーマスとその弟と一緒にバスケットボールをした事です。トーマスとトーマスの弟がとてもバスケットボールが上手く驚きました。最初はホームステイと聞いていて不安でしたがとても楽しい時間を過ごせました。
【K.T】
カウナスでのホームステイを終え、僕たちはドルスキニンカイに向かいました。ドルスキニンカイではアトギミモ小中学校を見学、アスレチック、アクアパーク、Romnesaに行きました。学校ではバスケをしたりゴルフをしたりしました。ゴルフは的にボールを当てるようなやつだったんですが、何故か点数をとったほうが負けというよくわからないゲームでした。アスレチックはとても怖く命綱を何本もつけるくらい危険でした。しかし、川をロープで渡るのはとても楽しかったです。Romnesaとはある一人の男性が作っている彫刻を展示している場所で、その彫刻は人間の生死を題材としたものが多く、とても考えさせられました。ホームステイは姉妹とお母さんという3人家族の家に行きました。僕はU.H君と同じホームステイ先でした。ホームステイ中で一番印象に残ったのは噴水です。アクアパークの近くには毎日お金を入れると音楽が流れ、その音楽に合わせて噴水が動くショーを見ました。ホストファミリーはとても話しやすくいい家族でした。
そして、このツアー最後の都市であるビリニュスに今日向かいました。ビリニュスでは今日、パネリアイの森、トラカイ城に行きました。パネリアイの森とは当時のナチスドイツがリトアニアを占領したときに大量虐殺を行った森です。僕が特に印象に残ったのは当時のリトアニア人は反ユダヤ主義だったから他の国ではまだ殲滅はしていなかったのに先に殲滅しようとしていたことです。これはいかに人の意識がこのような歴史を繰り返さないことにおいて重要かが分かりました。
【N.S】
今日はカウナスを移動してドルスキニンカイに行きました。
まずカウナスでは現地の学校に行きました。湘南学園より部屋数が少なくホームステイの人が一つのクラスに25人くらいしかいないと言ってたせいか少し狭めかなと思いました。
カウナスからドルスキニンカイの移動の時やはり森の中だなと思いました。
ドルスキニンカイに着いたら塩で芸術作品を作っている夫婦がいました。どうやらドルスキニンカイのドルスキというのは塩から来ているそうです。また、塩からいろいろなものが出来ていました。
【H.H】
今日はトラカイ城を見に行きました。
トラカイ城はとても広く中には中世ヨーロッパを感じさせる武器や防具が飾ってありました。また、僕はそこで初めてボウガンで射的をしました。とても楽しかったです。
最終日には、最後に楽しいところと辛い所を見に行きました。まず最初に訪れたのはリトアニアにある日本大使館です。そこでは実際に大使とあって話を聞くことが出来ましたとても貴重な体験をしたと思います。大使はリトアニアが日本にとても関心を抱いていて姉妹都市などが出来ようとしていることを話していました、これから先もっと日本人がリトアニアに目を向けられたらいいと思いました。
次に言ったところはKGB博物館です。ここは旧ソ連がリトアニアを占領していた 時に反逆者を拷問したり粛清したりする場所で、とても空気が重くなりました。
そこでは捕まっていた囚人の服や、看守の制服また、武器などが展示しているだけでなく、地下には、拷問部屋があって人が殺される瞬間の動画が流れていました。僕はアウシュビッツより怖かったと思いました。
そして僕達は、昼ごはんを食べたあと空港に向かい杉原BPJの人たちと別れ飛行機に乗りました…
【R.T】
トラカイ城を見学して、第一印象としてドラクエ等のRPGに出てきそうなお城だなと思った。城の内部には当時の旗や甲冑があり、どんな王様だったかが書かれていた。また、外には射撃場があった。自分はその射撃場で弓を使った。他にも鉄砲やボウガンなどがあったが自分は一番弓に惹かれたため弓にした。やってみて思ったのは意外と力が必要だった事だ。次に行ったパネリアイの森は自然が豊かでとても多くの人々が虐殺された場所とは思えないほど綺麗だった。最後にヴィリニュス市内のゲディミナス塔を登ってみて、旧市街と新市街両方が見えるこの塔の景色は素晴らしいものだった。自分は高い所が苦手なのだが塔の上から見た景色があまりにも綺麗だったため景色に見とれていた。ヴィリニュス市内自体も日本に無いような石畳の道路が美しくて綺麗だった。

KGB博物館に行って、最初に入った時からとても空気が重いところだなと思った。特に一番空気が重かったのは地下の処刑室だ。処刑室にあった映像資料を見て、当時のソ連がどれだけ残酷なことをしていたか分かった。自分は処刑室を出たらと ても頭が痛くなったため外に出た。それだけ自分に刺激が強いものだったんだと思った。

【T.K】
昨日は、ドルスキニンカイを離れてトラカイ城に向かった。トラカイ城があったトラカイ村は、中世リトアニアの首都であったそう。今の城は第二次世界大戦後に復元されたもので、最初に100年かけて作られた城は17世紀半ばのモスクワ戦争で破壊されたようで、古い城壁が残っていた。トラカイ城の中庭はとてもきれいだった。その後、琥珀のブレスレットをお土産に買い、昼食を食べに行った。昼食で、初めてキビナイを食べた。とても美味しかったので、また食べたくなった。またバスに乗り、今度はパネリャイの森へと向かった。この森は、ナチス・ドイツが、ヴィリニュスを占領する前には森林浴などのためのリゾート地で、楽しい場所だったのに、1941年7月から大虐殺の場となったのは残念だと思った。しかしなぜ、ここが大虐殺の場となったのか最初不思議に思っていた。その理由はここがリゾート地だったことを利用して、ユダヤ人に、ここが大虐殺の場だと言うことを考えさせないためだと個人では思った。ナチスという集団はどうしてこんなことができたんだろうと思った。その後はホテルに向かい、荷物をおいて旧市街に向かった。事前学習で見たビデオに出ていた教会に行き、旧市街をぐるりと回った。
(26日の感想&まとめ)
26日は、朝、ホテルを出て、在リトアニア日本国大使館を表敬訪問した。そこで、大使館の方々とお話をさせて頂く貴重な体験をした。リトアニアのことや、英語の勉強のことなど、様々なお話を聞いて話した。リトアニアという国は日本ほど世界には知られていないが、バスケットボールがとても強く、世界ランク3位で、東京オリンピックにやってくるかもしれないことや、今、国を新しく作っていることを聞いて、もしかしたらリトアニアには、日本以上に将来の可能性がある国かもしれないと思った。さらに最後にリトアニア独立25周年の記念バッチをもらえたので、とても嬉しかった。次は、KGB博物館に行き、旧ソビエトの監獄などを見て回った。監獄に入ると、何だか少し怖くなった。奥は行き止まりだったが、分かれ道が一本あったので、行ってみることにした。そこに行くと、ソビエトの、処刑の仕方や死体、殺された反政府の運動の主導者などの、人骨の写真があってすごく恐 ろしい場所だった。その後は昼食をとり、ビリニュス空港に行き、千畝BPJの方と別れて、羽田空港に向かった。
【H.M】
リトアニア日本大使館に行って、まず一番に思った事は“こんな僕がこんな所に来ていいのか”と言う場違い感でした。
けれどリトアニア日本大使の重枝大使はとても優しくしてくれてとてもリトアニアの事が好きなんだと思いました。お話してくれた事で一番驚いた事はリトアニア人は日本の事を知っているし行きたいと思っている人が多けれど日本人はリトアニアの事を知っている人も行ったことがある人もとても少ないことです。けれど2020年の東京オリンピックでリトアニアの人達に来てもらおうという活動を日本も僕が住んでいる平塚市を中心に活動をしているようです。
KGB博物館を見て、あまり見る時間は無かったけれどすごく重たく内容の濃いものでした。
まず地下の収容室を見て地下は薄暗くとても生活ができるような場所では無かったです。次に処刑室の跡地を見ました。そこで見た映像はとても目を疑うようなものが流れていました。連れてこられた政治犯はテキトウな裁判に掛けられ死刑が宣告され銃殺されます。そしてすぐに次の人が連れてこられて銃殺されるというとても信じられない事が起こっていたのです。
もうこんな事は起こしてはいけないとさらに固く思いました。
【N.S】
今日はカウナスや日本大使館に行って、KGB博物館にいったあと、飛行機で帰りました。
カウナス大使館では大使に会いました。
次にKGB博物館に行きました。とても生々しいものが結構残ってていました。また、ここで殺された残酷さを感じました。