リトアニア・ポーランドツアー ~ 4日目 ~



初めて訪れたアウシュビッツ(ドイツ語での地名です。占領する際にオシフィエンチムというポーランド名を奪ったとのことでした。言葉は文化とつながっているからこそ、言葉を奪うことで自軍のものであるということを象徴することになります。(前回の投稿にある「他者の言葉に寄り添う」ことの反対に位置します。)ちなみに、言葉が奪われた状態が長く続くと、それが文化として定着していきます。我々が実質的に「アウシュビッツ」という名称しか知らないのも、ある意味では占領政策の帰結であると考えることができます。)
ここで起きたことが想像を絶するものであったことは学んでいたし、直視できないのではないかとも考えていました。でも実際には目の前に広がるものを冷静に受け止めようとする自分がいて、自分にはショッキングなことをショッキングなこととして受け止める感情が欠けているのではないかと怖くなったりもしました。あまりにも壮絶すぎて、僕の理解を超えているのかもしれません。少なくとも、こうしたことがあってはならないということ、いかなる信念があろうと他者の領域に土足で踏み込むことや、その領域を奪うことがあってはならないことであるということ、一部の者の命令によって人(もちろん我々も含みます)は善人にも悪人にも、つまり何者にでもなれるということを再確認することができました。そうした思いを一気に昇華させてくれたのが、写真にある一言です。こちらは見学ツアーの途中でお土産用として購入したマグネットなのですが、その言葉を見た瞬間に涙が出そうになりました。見学ツアー中に整理できなかった思いが一気に整っていくような、そのような思いに駆られたものです。是非とも紹介したく、こちらに掲載させて頂きます。
生徒たちは、目の前に広がる負の遺産を全身で感じ取っているようでした。通訳の方の話に耳を傾けながらメモ帳に文字を連ねていく子、スマートフォンに箇条書きを残していく子、感じた率直な思いを僕らに話してくれる子、思い思いの形でアウシュビッツで起きていたことに思いを寄せます。普段の学校生活では見ることのできないような、とても神妙な面持ちで約3時間の見学ツアーを終えました。
書き切れない思いが多すぎるので、二つの言葉で今回の記事を締めくくりたいと思います。
戦争は人の心の中でうまれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない
戦争は最大の人権侵害である







