第514回 この夏に訪れた被災地の光景から(続)

2012年9月6日

 昨日からの続きです。お世話になった民宿のご夫婦からお話を伺いました。
 その後住宅や道路や港など、震災復興の様々な工事が増加して、多数の関係者も地域一帯に出入りされました。その方々の宿泊施設が足りない状況となり、早い時期から要請を受けたそうです。
 この民宿には馴染み客のファンも多く、励ましや声援を受けました。こうして営業再開への大きな声と願いに推されて、内装リニューアルを急ぎ、営業を再び始められたのです。

 帰り道で、近くにある全国屈指の観光地「松島」にも寄ってみました。多数の観光客を確認してホッとする思いでした。行政からは仙石線のルート一部変更案が示され、住民の人たちの心配や懸念もあることを知りました。仙台や郡山の駅で書店に立ち寄ると、地元のいまを丁寧に伝える書籍が並んでいました。大震災の前と後で各地の地域のどれだけ遠景が激変したかを撮る写真集を購入しました。郡山は、福島第一原発事故で避難された人びとも大勢いらしゃる地域の中核都市です。学校合唱が盛んなことでも全国的に知られています。市内の中学と高校の名門校の前にも行ってみました。

 NHK総合でいまも毎日、『あの日・わたしは~証言記録・東日本大震災』という5分間の記録番組を放映しています。貴重なインタビュー番組で私は毎回録画して観ています。先日奇しくも私たちが訪れた東松島市の野蒜地区が続けて登場していました。
 この地区だけで実に300人以上の住民が亡くなられたことを知りました。当日大津波が駅を越えはるか内部まで襲った後の光景に息をのみました。その襲来に備えて近くの小さな山の中に避難小屋を十年かけて自力で建てた男性がいました。近くの住民約70名がその小屋と周囲で暖を取り、助かったのです。また駅最寄りの公立中学校校長の女性が出ました。当日はすぐ近くの大型施設で卒業生の謝恩会も行われました。学校の内部も広く津波に一掃されますが、2つの建物の上部の間で教職員が手旗で連絡を送り合い、監督下の生徒達を守って脱出することができました。自分たちが直接行った地域、その当時の惨禍と努力についてTVでも接し、理解を深めることができました。

 この夏には、本校からも教員有志や生徒会の生徒諸君などが、いくつかの被災地を訪問しています。また機会を改めて紹介したいと思います。