第513回 この夏に訪れた被災地の光景から

2012年9月5日

 8月半ば近くに、宮城県のある地域で一泊しました。
 宮城県と福島県に暮らす妻の友人と、大震災後初めて郡山で会うことになり、その前に海岸の被災地へ行くことにしました。新幹線で仙台へ、そこから在来線の「仙石線」に乗りましたが、途中で鉄道は中断し、「代行バス」で乗り継ぐというルートでした。さすが米どころの宮城県です。見渡す限りの水田の緑がバスから鮮やかでした。

 やがて、点在する民家が内部を破壊され、無人のままの姿をいくつも目にしました。そして「野蒜駅」に着きます。駅は閉鎖され、ホームや駅前の商店や橋には大震災の傷跡がありました。建物は何とか残っても、特に1階は津波で激しく壊滅した姿が強烈でした。電柱や川の護岸コンクリート、周囲の松林などにも無惨な姿が残っていました。

 ここは宮城県「東松島市」です。その先には「石巻市」があります。
 私たちの泊まる民宿のご主人が、駅までクルマで迎えに来て下さいました。風光明媚な奥松島には、震災前に民宿が約30軒もありました。しかし大津波の襲来により複数の砂浜は破壊され、多数の民家が直撃されました。その後営業を再開できた民宿はまだ数軒だけで、島には各地に仮設住宅が建てられました。クルマから見える野蒜からの景色の中には、大きな瓦礫の山やがらんどうとなった学校や大型施設も景色もありました。島を結ぶ道路の橋まで寸断された厳しい時間帯もあったそうです。
 島内ではボランティア活動で作業中のグループにも会いました。数多くの島々が連なる奥松島の景色は絶景です。牡蛎の養殖の入口でも重要な役割を担っていた地域と知りました。

 夕食には、漁師もされるご主人による新鮮な魚介類が、申し訳ないほど贅沢に並びました。しかし漁の厳しい制限も続き、以前の御馳走には届かないのです、以前のメニューをお出ししたいです、と奥様が涙ぐまれていました。実は昨年4月の余震もひどく、地域の建物や地盤に打撃があり、今後の営業への意欲が萎える思いも抱えられたそうです。(明日へ続く)