「リトポー」再開!①

2026年9月3日

夏休み中、8月9日~25日にわたる、「第7回ポーランド・リトアニア ヒストリーツアー」(リトポー)の引率を、企画主任の新倉先生と共にしました(「学びblog」の記事は全て新倉先生に書いてもらいました!)。ツアー自体は、2019年に実施して以来の再開です。私は、初回(2014年)から引率していますので、下見やプライベートでの旅を含めると、ポーランドには10回目、リトアニアには8回目の訪問となりました。両国ともに大好きです!
 
さて、このツアーの目的の一つとして、「ホロコーストについて学ぶ」ということがあります。ポーランドのアウシュビッツやプワショフ、リトアニアの第九要塞やパネリアイなどに実際に足を運び、ガイドさんから話を聞き、五感で現地を感じるといった経験をします。参加した生徒たちが何を感じたのか、いくつかの感想を載せてみたいと思います。ホロコーストのことをより深く知ったり、日本と比較することによってより深い思考に踏み出したり・・・。生の声をおききください。
 
〇ホロコーストはユダヤ人のナチスドイツの集団的な迫害として挙がることが多いが、ユダヤ人の他にもロマ民族やソ連の捕虜、障害者などの人達が迫害を受けていた事を知りなぜこんなにも多くの人種や人が差別を受けなければならなかったのかすごく疑問に思ったし、この歴史から学び二度とホロコーストのような集団的、計画的な差別や迫害は繰り返してはならないと思った。

〇ナチスが法律や暴力を使って社会からユダヤ人を徐々に追い出していったということを学びました。

〇私はポーランドとリトアニアでホロコーストについて学び、今自分が立っている場所で多くの方が亡くなって眠っているという現実に、どうしても耐えられない気持ちになりました。戦争の悲惨さを深く知ると同時に、これから自分がどんなスタンスで平和について学んでいくべきかを考えるきっかけになりました。 新倉先生が以前ブログに書かれていたように、リトアニアやポーランドの人々は、日本の「戦争はしてはいけない」という考え方よりも、「国を自分たちの手で作り、守る」というスタンスの方が教育も含めて強いと感じました。そして、その国民性がホロコーストの歴史にも強く関係しているのではないかと考えました。 ワルシャワ蜂起博物館やKGB博物館では、どんなに迫害されても自分の国を守ろうと希望を持ち続けた歴史が残されていました。しかしその一方で、パネレイや第9要塞では、自分たちの国を守ろうとした結果、加害者になってしまった歴史を知りました。ソ連の支配から抜け出すためにナチス・ドイツを解放者だと思い込んでしまったり、「ユダヤ人がソ連に協力している」という誤った情報やプロパガンダを信じてしまったりしたことで、国を守るための考え方が他者を排除する加害へと繋がってしまったのだと思います。「守る」という強い思いがあっても、そのために誰かを排除したり犠牲にしたりすることは絶対にあってはいけないと感じました。 また、大使館での話を通して日本との平和教育の差も知りました。リトアニアやポーランドでは「国を自分たちの手で守る」という教育であるのに対し、日本では「戦争は絶対にあってはいけない」という教育です。日本のような教育だと「自分たちの国」に対する当事者意識が薄れやすく、ヨーロッパのような形だとそれもまた不安定な状態を生んでしまうのではないかと思います。(このことを母親に話したとき、「日本は侵略される危機感が薄いからかもね」と言われてとても納得しました。) どちらのスタンスにも難しさがある中で、私はどんな「平和」の考えを持つべきなのか、これからも答えを探し続けたいです。

〇ホロコーストの被害を実際に受けた人の遺品やその当時の様子をそのまま再現しているような部屋や場所に行って授業では決して体感できないような凄惨さを感じて学ぶことができた。また、これだけ歴史的かつ凄惨極まりないような建物が残っていてそこで戦争の残虐性が身に染みてわかるというのに、なぜ人は戦争を繰り返してしまうのかについても考えさせられた。

〇統計上の犠牲の中の一人一人の夢や人生を考えるとやりきれないと思った。被害者も加害者も傍観者も今の自分達と同じ普通の人間であり、特定の環境のもとで勇敢にも残虐にもなれるということは人類普遍で、このような悲劇はいつどこでも起こりうる再現性の高いものだと感じた。それでも犠牲者の姿と決して許されない虐殺の痕跡を直視したという経験は、絶対にこのような悲劇を繰り返してはならないという確信に繋がった。そのためには、あの日プワショフ、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、第九要塞やパネリアイの森などで実際に感じた感覚を決して忘れず、それをもとに周囲の環境に流されることのない、自らの判断基準となる自分の中の軸を持つことが大切だと感じた。そして杉原ハウスの訪問では、職責をかけユダヤ難民の命を救った杉原千畝の決断がどれだけ勇敢で偉大なものであったかを再確認することができた。