カナダセミナー4日目の報告 その1

2025年7月25日

 今日は、10時から、1860年代から1930年代までのカナダ西部の生活を再現した歴史村と生活歴史博物館である Heritage Park に出かけるため、午前中の1時間を使って、カナダの歴史について学びました。

 カナダには、昔からイヌイットなどの原住民が暮らしていました。(イヌイットは、エスキモーという総称に含まれる民族グループの1つです。エスキモーは、シベリアからグリーンランドにかけての北極圏に住む先住民族の総称として使われていましたが、カナダでは「生肉を食べる人」という意味を持つ「エスキモー」という言葉が差別的であるとされ、「人々」という意味を持つ「イヌイット」という言葉が公式名称として採用されています。)

 その後、現在のカナダの地には、ヨーロッパからバイキングやフランス人、イギリス人などが移住して来ました。18世紀になると、北米での覇権をかけて、イギリスとフランスとの間で、フレンチ・インディアン戦争(1754年〜1763年)が起こりました。この戦いではイギリスが勝利し、フランスは北米大陸における植民地の多くを失いました。イギリスが勝利したことにより、カナダは、その後イギリス連邦の1つとなりましたが、カナダ西部のケベック州では、フランス植民地時代の名残りで、現在でも言語はフランス語が公用語として使われています。

 カナダの女性公民権運動についても学びました。 「ダイ・フェイマス・ファイブ」と呼ばれる、ヘンリエッタ・エドワーズ (Henrietta Muir Edwards)、ルイーズ・マッケニー (Louise McKinney)、ネル・マーティン(Nellie McClung)、エミリー・マーフィン (Emily Murphy)、 アイリーン・パーラビー (Irene Parlby) らの5名の女性達は、1927年に、女性も「人」として扱われるべきかどうかの解釈をめぐって、最高裁判所に請願を行いました。この請願は、カナダの最高裁判所では棄却されましたが、その後、イギリスの枢密院に上訴し、1929年に枢密院で女性も「人」として認められるという判決が下されました。この判決は、「人」の定義に女性が含まれることを明確にし、カナダの女性の権利に大きな影響を与えました。

 午前中の授業の最後には、カナダの歴史について学んだことを Katoot による四択のクイズ形式のゲームをやりながら、楽しく振り返りました。もちろん、質問も答えの選択肢もすべてオールイングリッシュでしたが、生徒達は、とても積極的に解答を競い合っていました。